ジミー・ヒース

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出生名 James Edward Heath
生誕 (1926-10-25) 1926年10月25日
死没 (2020-01-19) 2020年1月19日(93歳没)
ジミー・ヒース
Jimmy Heath
ジミー・ヒース(1998年)
基本情報
出生名 James Edward Heath
生誕 (1926-10-25) 1926年10月25日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (2020-01-19) 2020年1月19日(93歳没)
ジャンル ジャズビバップハード・バップ
職業 ミュージシャン、教育者、作曲家、編曲家
担当楽器 アルト・サクソフォーン、テナー・サクソフォーン、フルート
活動期間 1940年代 - 2020年
公式サイト www.jimmyheath.com
クリスチャン・マクブライド(左)と談笑(2007年)

ジミー・ヒースJimmy Heath1926年10月25日[1] - 2020年1月19日)は、アメリカ合衆国ジャズサクソフォーン奏者、作曲家アレンジャー。あだ名は「リトル・バード (Little Bird)」。ベースパーシー・ヒースドラムアルバート・ヒースは兄弟。ジェームズ・エムトゥーメの父にあたる[2]

パーシー・ヒース(左)とジミー(1977年)

元はアルト・サクソフォーンを吹いていたが、1940年代後半にチャーリー・パーカーハワード・マギーディジー・ガレスピーと演奏しているのを聴き、テナーに変えた。それ故、「リトル・バード」と呼ばれるようになった[1]

1959年にジョン・コルトレーンに替わりマイルス・デイヴィス・バンドに短期間参加。ケニー・ドーハムギル・エヴァンスとも共演。[1][3]

1960年代にはミルト・ジャクソンアート・ファーマーとよく共演[1]

1975年、兄弟でザ・ヒース・ブラザーズを組み、ピアノのスタンリー・カウエルも参加した[1]

1956年にチェット・ベイカーアート・ペッパーのアルバム『プレイボーイズ (Playboys)』では、曲の大半を作曲した[1]

1980年代に、ニューヨーク市立大学クイーンズ校の音楽学部の教授に就任。20年以上教えた。ドナルド・バードなどを招聘した[4] [3][3][5]

米ジョージア州ローガンビルで、老衰のために亡くなった[6]

人物・家族

友人のマイルス・デイヴィスは自伝『完本マイルス・デイヴィス自叙伝』(中山康樹訳)(p236)で1952年をふりかえる。

「ジミーは小さな足をしていたが、いつも格好良い靴を履いて粋な服を着ていた。ヒース兄弟は音楽一家で、しかも母親が大変な料理上手だったから、ヒース家にはいつも、たくさんのミュージシャンがたむろしていた。ジミーはビッグ・バンドを持っていて、そこにはジョン・コルトレーンも入っていた。奴らはヒップで、演奏もすごい、すばらしい連中だった」。

楽曲

出演

ヒースは1991年、コルトレーン伝記ドキュメンタリージョン・コルトレーンの世界』に出演し、コルトレーンに関し多くのことを語った。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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