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イアン・モンクリフ

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死没 (1985-02-27) 1985年2月27日(65歳没)
第11代準男爵
サー・イアン・モンクリフ
紋章記録官会館にあるモンクリフ卿の胸像
(於:エディンバラ)
生誕 1919年4月9日
死没 (1985-02-27) 1985年2月27日(65歳没)
国籍 イギリスの旗 イギリス
出身校 オックスフォード大学
職業 紋章官 ,系譜学者
活動期間 1952–1985
団体 スコットランド紋章院
肩書き オルバニー紋章官(英語版)他
任期 1964-1985
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第11代準男爵サー・ルパート・イアン・ケイ・モンクリフ(英: Sir Rupert Iain Kay Moncreiffe of that Ilk, 11th Baronet[注釈 1],CVO QC、1919年4月9日 - 1985年2月27日)は、イギリスの紋章官、系譜学者。

紋章官として

モンクリフ氏族(英語版)のバッジ。彼の次男が氏族長の地位を継いだ。

トマス・ジェラルド・モンクリフ海軍中佐とヒンダ・ミレモン(Hinda de Miremont、フランソワ・ド・ミレモンの娘)との息子として生まれた[1]。幼少期の1922年に父が亡くなると、母は幼いイアンの世話を親戚に押し付けて、彼を親族から親族へとたらい回しにしたという[2]。この頃の彼について『英国人名事典』では、「幼い頃から系譜図や紋章に強い関心を示した」としており、その理由に彼自身も属するクラン(モンクリフ氏族(英語版))をきっかけにスコットランド史に深い興味を抱いた点を挙げている[2]。長じてストウ校(英語版)、ハイデルベルク大学、オックスフォード大学に学んだ[2]。

第二次世界大戦後はエディンバラ大学で法学を専攻した[3]。1958年には『スコットランドにおける紋章と爵位継承法』に関する論文で学位を取得[4]、2010年にはモノグラフとして刊行されている[5][3]。1957年に従兄弟から準男爵位を継承した[2]。以降はスコットランド紋章院に進み、紋章官としての経歴を歩むこととなる。

イアンは1952年にフォークランド紋章官補(英語版)に就任して、紋章官としてのキャリアをスタートさせた[6]。翌年にキンタイア紋章官補(英語版)[7]、1955年にはユニコーン紋章官補(英語版)[8]、1961年からはオルバニー紋章官(英語版)を歴任した[9]。

紋章官在職中には紋章画家[注釈 2]ドン・ポッティンジャー(英語版)紋章官とともに『Simple Heraldry』を執筆・出版して、大成功を収めた[2][3]。また1967年にスコットランドの氏族に触れた『The Highland Clans』を上梓した[3]。この著作について、『英国人名事典』は「卓越している」との評価を与えている[2]。紋章学以外にスコットランド継承法にも明るかったため、公式・非公式を問わずスコットランド貴族から相談にあずかることがあったという[2]。

1985年にロンドンで死去した。長男マーリンが準男爵位を相続した[1]。彼はさらに母からもエロル伯爵位を継ぎ、モンクリフ姓ではなくヘイ姓(Hay)を名乗っている[1]。また、次男ペレグリン・モンクリフ(英語版)は従姉エリザベス・モンクリフよりモンクリフ氏族(英語版)氏族長の地位を継承した。

私生活

栄典

脚注

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