イオン・テオドレスク=シオン
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ルーマニアの現ブライラ県のヤンカ(Ianca)で鉄道労働者の息子に生まれた[1]。ブライラで初等教育を受けた後、ブカレストに移り、1894年に国立美術学校に入学し、ゲオルゲ・デメトレスク・ミリャらに学び、1897年に卒業した[2]。1904年から1907年の期間の奨学金を受けて、フランスに旅し、パリ国立高等美術学校に入学し、ジャン=ポール・ローランスとリュック=オリヴィエ・メルソンに学んだ[2][3] 。革命思想に共感していたテオドレスク=シオンは1905年のロシア第一革命のニュースに興奮し、留学資金を浪費し[4]、後援者から支援を打ち切られた。外人部隊に入隊するつもりでフランス領アルジェリアに旅した後[4] 、ルーマニアに戻った。
1909年に、ルーマニアの展覧会で二等賞を受賞し、画家として評価され、5年後に最初の個展を開催した。イギリス、ベルギー、アルジェリア、オランダ、イタリア、フランスなどで修行し、ルーマニアの雑誌に風刺画を掲載した。1914年頃、ブカレストの美術アカデミーの教授に選ばれ、ルーマニア芸術家協会の創設委員会のメンバーも務めた[2]。
第一次世界大戦中はルーマニア軍の戦争画家として働いた。戦時中の行動と芸術的功績に対して、1923年にルーマニア王冠勲章などを受勲した[3]。
戦間期ヨーロッパの美術の新しいスタイルの作品を描いた。
1939年にブカレストで亡くなった。