イグナシオ・メリノ
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ペルー北西部のピウラで生まれた。父親はトルヒーリョの貴族で政府の高官であり、裕福な環境で育ち、10歳の時に教育のためにパリに送られ、絵画も学び始めた。
画家のポール・ドラローシュとレイモン・モンヴォワザンに学び、歴史画を得意とするドラローシュの影響を受けた。ヨーロッパ育ちのため、母国の歴史に関する題材を描くことはほとんどなかったが、1834年にペルーの第5代大統領、ルイス・ホセ・デ・オルベゴソが内戦で勝利しペルーの首都に入城する情景を描いた作品がある。
ペルーに帰国するとリマの絵画学校の副校長に任命され、その後校長になった。ピウラノ出身のルイス・モンテロ(Luis Montero)やフランシスコ・マシアス(Francisco Masías)、フランシスコ・アレーゼ(Francisco Arrese)、タクナ出身のフランシスコ・ラソ(Francisco Laso)といったペルーの初期の画家たちにイグナシオ・メリノは大きな影響を与えたとされる[1]。
1840年代には、風俗画(obras costumbristas)や17世紀に列聖されたリマの聖ローサや16世紀末リマ生まれのドミニコ会士、マルティン・デ・ポレスといった聖人たちの肖像画も描いた、
1850年に、パリに移り、その後はパリで活動した。画家ウジェーヌ・ドラクロワのアトリエで学んだ[2]。1863年にパリのサロンに出展したサラマンカの学者たちを前に航海計画を説明するクリストファー・コロンブスがを描いた作品は入賞し、後にペルーの大統領に買い上げられた。その他に文学作品を題材にした作品も描いた[3]。
1876年にパリで結核で59歳で亡くなった。未婚であり、作品と財産の一部をリマ市に遺贈した[2]。