イスティクラル
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| イスティクラル・モスク مسجد الاستقلال | |
|---|---|
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モスク内部 | |
| 基本情報 | |
| 所在地 | 中央ジャカルタ |
| 宗教 | イスラム教 – スンナ派 |
| 州 | ジャカルタ首都特別州 |
| 国 | インドネシア |
| ウェブサイト |
www |
| 建設 | |
| 建築家 | フリードリヒ・シラバン |
| 形式 | モスク[1][2][2][3][4] |
| 様式 | |
| 創設 | 1978年 |
| 着工 | 1961年8月24日[5] |
| 完成 | 1978年2月12日[6] |
| 建築物 | |
| 収容人数 | 200,000 礼拝者 |
| ドーム数 | 2 |
| ドーム直径(外側) | 45 m (148 ft) |
| ミナレット数 | 1 |
| イスティクラル・モスク大イマーム | ナサルディン・ウマー |
イスティクラル・モスク(アラビア語: مسجد الاستقلال、「独立のモスク」の意)は、インドネシアの中央ジャカルタに位置する国立モスクである。東南アジア最大のモスクであり、礼拝者収容数では世界で8番目に大きいモスクである[7]。
このモスクはインドネシア独立を記念して建設された。名称の「イスティクラル(Istiqlal)」はアラビア語で「独立」を意味する。一般公開は1978年2月22日に行われた。
ジャカルタ市内ではムルデカ宮殿の近くに位置し、ジャカルタ大聖堂(カトリック)およびイマニュエル教会(改革派)にも隣接している[8]。
イスティクラル・モスク建設の構想は、最初に副大統領モハマッド・ハッタによって提案され、その後大統領スカルノが引き継いだ。
1961年8月24日、スカルノによって起工式が行われた。設計はフリードリヒ・シラバンが担当した。彼はフリア・クリステン・バタック・プロテスタン教会出身のルター派牧師の息子であった[9]。
モスクの設計テーマは「神性(Ketuhanan)」である[10]。
建築様式はニュー・フォーマリズムとインターナショナル様式で、大理石の壁と床、ステンレス鋼によるイスラム幾何学模様の装飾が施されている。主建物は5階建てで地下1階を持つ。直径45メートルの大ドームが12本の巨大な柱によって支えられている。南側には高さ96.66メートルの単一ミナレットがそびえる。モスクの収容人数は20万人以上である[11]。
イスティクラル・モスク建設の構想は、副大統領モハマッド・ハッタによって提唱された。これは首都に建設され、世界各国の人々が訪れ、イスラムの存在を示す国立モスクとする構想であった。
1951年、ハッタは最高顧問評議会の建物で会議を開き、シャフルディン・プラウィラネガラやハムカなどの人物を招いた。ハッタは民間主体の委員会設立を提案し、政府がこれを支援する形を想定した。
国家モスク建設委員会は、アサートを委員長として設立された。副委員長はシャフルディン・プラウィラネガラ、ハムカ、アンワル・チョクロアミノトであった。
しかし国内政治の緊張が高まり、指導される民主主義体制の中でアサートとシャフルディンはジャカルタを離れることを余儀なくされた。アンワル・チョクロアミノトも資金横領の疑いで拘束されたが、裁判で無罪となり委員会に留まった。一方、ハッタは1956年に副大統領を辞任した。
その後、指導される民主主義を推進していたスカルノがこの構想を引き継ぎ、委員会の構成を改めた。
計画
立地と設計
このモスクの敷地は、かつてウィルヘルミナ公園と19世紀の要塞プリンス・フレデリック要塞があった場所である。
1953年、アンワル・チョクロアミノトを委員長とする建設委員会が設立された。1954年にはスカルノが技術監督責任者に任命された[12]。
建設地についてはいくつか候補があった。副大統領ハッタは当時、タムリン通り周辺の住宅地を提案し、現在ホテル・インドネシアが建つ場所を候補として挙げた[13]。
しかしスカルノは、国家の最重要広場であるムルデカ広場の近く、すなわちムルデカ宮殿周辺に建設すべきだと主張した。これはジャワの伝統において、クラトン(王宮)と大モスクがアルン=アルン(都市広場)の周囲に配置されるという都市構造に従うものであった[14]。
さらにスカルノは、宗教的調和と宗教的寛容を象徴するため、モスクをジャカルタ大聖堂とイマニュエル教会の近くに建設することを提案した[15]。
最終的に、ウィジャヤ・クスマ公園の区域が選ばれた。この建設のため、1837年に建てられたプリンス・フレデリック要塞は取り壊された。
建設
現代の出来事
1978年4月14日金曜日の夜、モスクのミンバル付近でプラスチック爆弾が爆発したが、負傷者は出なかった。
1999年4月19日には地下階で二度目の爆弾事件が発生し、事務室の窓ガラスが破損した[18]。
2019年5月から2020年7月にかけて、約3500万米ドル(約5110億ルピア)をかけた大規模改修が実施された[19]。
改修では外壁大理石の研磨、幾何学装飾の清掃、新しいミフラーブとミンバルの設置、電気・給排水設備の更新、LED照明の導入、VIP室の改修、庭園整備、地下2階の駐車場建設などが行われた。
また、モスクとジャカルタ大聖堂を結ぶ地下通路「シラトゥラヒム・トンネル」が建設された。この通路は2024年12月12日に大統領プラボウォ・スビアントによって開通した。
2022年には、世界銀行グループの国際金融公社(IFC)からEDGE(Excellence in Design for Greater Efficiencies)認証を取得した。これにより、世界初のグリーンビルディング概念を導入した礼拝施設とされた。
さらにこのモスクでは宗教間の寛容性を示す取り組みとして、現代ヘブライ語の授業も行われている。これはヘブライ語・アラビア語・アラム語教師であるサプリ・サレによって導入された。