イネス・デ・アキタニア (1059-1078)

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在位 レオン王妃:1069年 - 1072年1月, 1072年10月 - 1077年
カスティーリャ王妃:1072年 - 1077年
出生 1059年
死去 1078年6月6日
埋葬 カスティーリャ王国サアグン、サン・ファクンドおよびサン・プリミティーヴォ修道院
イネス・デ・アキタニア
Inés de Aquitania
レオン王妃
カスティーリャ王妃
在位 レオン王妃:1069年 - 1072年1月, 1072年10月 - 1077年
カスティーリャ王妃:1072年 - 1077年

出生 1059年
死去 1078年6月6日
埋葬 カスティーリャ王国サアグン、サン・ファクンドおよびサン・プリミティーヴォ修道院
結婚 1069年
配偶者 カスティーリャアルフォンソ6世
家名 ポワティエ家
父親 アキテーヌ公ギヨーム8世
母親 マティルド
宗教 ローマ・カトリック
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イネス・デ・アキタニアInés de Aquitania, 1059年頃 - 1078年6月6日)、もしくはイネス・デ・ポイトウInés de Poitiers)。フランス語名はアニェス・ダキテーヌAgnès d'Aquitaine)、もしくはアニェス・ド・ポワティエAgnès de Poitiers)。ポワティエ家出身の、11世紀のアラゴン王およびレオン王アルフォンソ6世の初婚の王妃。

現代の記録によると、イネスはアキテーヌ公ギヨーム8世と2番目の妃で出自不明の女性マティルドの娘で第一子長女に当たる。

アラゴン王およびナバラ王ペドロ1世妃となった同名の異母妹としばし混同される。他にも父の庶子に同名の異母妹がもう1人いる。

アルフォンソ6世が後妻に迎えた2人目の王妃コンスタンサ・デ・ボルゴーニャはイネスの三従姉、最後の王妃に迎えたベアトリス・デ・アキタニアは異母妹にあたる。

結婚

1069年、イネスは10歳程の頃にレオン王アルフォンソ6世と結婚したが、正式に結婚したのは結婚は1073年の終わりか1074年にイネスが14歳程になった時とされている。

アルフォンソ6世の父フェルナンド1世は王国を分割し3人の王子達に相続させた。アルフォンソとその兄サンチョはお互い争う前に協力し、ガリシア王国にて末弟ガルシア2世をセビリアに追放した。

しかし、1072年1月、アルフォンソ自身も(おそらくイネスも一緒に)サンチョに捕らえられてブルゴスへ幽閉され、トレドへの亡命を余儀なくされた。

兄サンチョは父フェルナンド1世の目的であった遺領の一括を征服に成功したが、その年の後半に暗殺された。それにより、アルフォンソは戻ってきて、1072年10月にレオン王として戴冠しアルフォンソ6世となった。その時、自らを「全ヒスパニアの皇帝(英語版)」であると宣言した。

イネスのアルフォンソ6世妃として1077年5月22日にアストルガでの記録を最後に、それ以降の記録にはアルフォンソ6世単独の名だけであり王妃イネスの存在が記載されなくなった。1078年6月6日にはイネスと死別したとされる。

年代記者であった修道士オルドリク・ヴィタリ(英語版)は、アルフォンソとイネスが近親結婚であったために離婚したと推測し、1109年にイネスがメーヌエリー1世と再婚した説を唱えたが、イネスの異母妹にあたるアルフォンソ6世の最後の王妃ベアトリス・デ・アキタニアが夫との死別後にフランスに帰りエリー1世と再婚したことで知られている。

イネスとアルフォンソ6世の間に子どもができなかったことと、イネスと異母妹ベアトリスの逸話をオーデリックが混同した可能性が高いとされ、離婚説の信憑性は低いが、イネスとアルフォンソ6世の婚姻解消原因がイネスとの死別か、婚姻の無効によるものかは未だ不明である[1]

死去と埋葬

参考文献

出典

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