アストルガ
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| 州 | |
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| 県 | |
| 司法管轄区 | アストルガ |
| 面積 | 46.78 km² [1] |
| 標高 | 868m |
| 人口 | 11,029 人 (2018年)[2] |
| 人口密度 | 235.76 人/km² |
| 住民呼称 | astorgano/-a |
| 自治体首長 (2011年) |
ビクトリーナ・アロンソ・フェルナンデス (PSOE) |
| 守護聖人 | Santo Toribio、Santa Marta |
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北緯42度27分32秒 西経6度03分48秒 / 北緯42.45889度 西経6.06333度座標: 北緯42度27分32秒 西経6度03分48秒 / 北緯42.45889度 西経6.06333度
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アストルガ (Astorga)は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州レオン県のムニシピオ(基礎自治体)。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の「フランスの道」途上の町で、司教座が置かれている。
アストルガは最初ケルト人の定住地があり、後に古代ローマの砦アストゥリカ(Asturica)が築かれた。紀元14年にローマ都市がつくられ、アウグストゥス帝によってアストゥリカ・アウグスタ(Asturica Augusta)の名を贈られた。今日も、ローマ時代の浴場が見られる。
ローマ時代のアストゥリカは、北西スペインの重要都市だった。プリニウスは市をウルブス・マグニフィカ(Urbs magnifica、壮大な都市)と呼んだ。アストゥリカからエメリタ(Emerita、現在のメリダ)へ向かうプラテア街道があった。スペインで最初に設置された司教座3箇所のうち、1つはアストルガで、アストルガ司教の地位はヨーロッパ最古の信仰の義務を負っていた。
ムーア人に対するアストゥリアス王アルフォンソ1世の遠征後(739年-757年)、アストルガは見捨てられ、ムーア人対キリスト教徒の間の広大な無人の緩衝地帯(当時ドゥエロの砂漠と呼ばれた)の中に置かれた。再移住が始まったのは1世紀後で、アストゥリアス王オルドニョ1世の代であった。アストルガは11世紀まで衰退時代にあったが、その後巡礼路の主要宿場となって成長した。15世紀、大聖堂の建設が始まり、18世紀終わりまで続いた。
スペイン独立戦争では、アストルガはナポレオン軍に包囲された。アストルガは、ナポレオン1世が滞在したイベリア半島中最も遠い町であった。
地理
政治
自治体首長はカスティーリャ・イ・レオン社会党(Partido Socialista de Castilla y León、PSCyL)のビクトリーナ・アロンソ・フェルナンデス(Victorina Alonso Fernández)[5]で、自治体評議員はカスティーリャ・イ・レオン社会党:7、カスティーリャ・イ・レオン国民党(Partido Popular de Castilla y León、PPCyL):7、PAL-UL[6]:3となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)[7]。
首長当選者:フアン・ホセ・アロンソ・ペランドーネス(PSOE) |
首長当選者:フアン・ホセ・アロンソ・ペランドーネス(PSOE) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
首長当選者:フアン・ホセ・アロンソ・ペランドーネス(PSOE) |
首長当選者:ビクトリーナ・アロンソ・フェルナンデス(PSOE) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
司法行政
アストルガはアストルガ司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である[13]。
