イヴァン・カルデロン
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来歴
アマチュア時代
1999年8月、カナダで開催されたパンアメリカン競技大会にライトフライ級(48kg)で出場、準決勝で敗退し銅メダルを獲得[1]。同年同月、アメリカのヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にライトフライ級(48kg)で出場、1回戦で敗退した[2]。
2000年9月、オーストラリアのシドニーで開催されたシドニーオリンピックにライトフライ級(48kg)で出場、1回戦で敗退した[3]。
アマチュア時代にはブライアン・ビロリアと4度対戦し、3勝1敗している。
プロ時代
2001年2月17日、アメリカ合衆国のラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナでデビューした。初回に2度倒し初回2分43秒TKO勝ちで白星でデビューを飾る。
2002年11月22日、リー・サンドバルとNABO北米ミニマム級王座決定戦を行い、12回3-0(2者が119-109、120-108)の判定勝ちで王座を獲得。
世界王座奪取
2003年5月3日、マンダレイ・ベイ・イベント・センターでWBO世界ミニマム級王者エドゥアルド・レイ・マルケスとWBO世界同級タイトルマッチを行い、9回43秒3-0(89-81、90-80×2)の負傷判定で勝利し王座を獲得した。
2003年9月5日、プエリトリコでロレンソ・トレホとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、12回3-0(119-109×2、117-111)の判定勝ちで初防衛に成功した。
2003年12月6日、プエルトリコのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスで元WBO世界ミニマム級王者アレックス・サンチェスとWBO世界同級タイトルマッチを行い、新旧王者対戦で注目を集め前回2階級制覇に失敗したサンチェスをコントロールし12回3-0(118-110、117-111、116-112)の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
2004年3月20日、プエルトリコのグアイナボのコリセオ・マリオ“キホーテ”モラレスで元IBF世界ミニマム級王者エドガル・カルデナスと対戦。この試合が3度目の防衛戦になるはずだったが、カルデナスが体重超過により計量失格となったためノンタイトル戦になった。試合は11回1分33秒KO勝ちでカルデナスに引導を渡した。
2004年7月31日、MGMグランド・ガーデン・アリーナで元IBF世界ミニマム級王者ロベルト・カルロス・レイバとWBO世界同級タイトルマッチを行い、王者になって初の苦戦を演じながらも12回3-0(116-112×3)の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。
2004年11月27日、MGMグランド・ガーデン・アリーナでカルロス・ファヤルドとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、12回3-0(120-107、118-109、119-108)の判定勝ちで4度目の防衛に成功した。
2005年4月30日、プエルトリコでノエル・ツニャカオとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、初回にダウンを奪ってペースを握ると最後はレフェリーが試合をストップ。8回2分55秒TKO勝ちで5度目の防衛に成功した。
2005年6月25日、ニュージャージー州アトランティックシティのボードウォーク・ホールでヘラルド・ベルデとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、12回3-0(115-113、117-111×2)の判定勝ちで6度目の防衛に成功した。
2005年12月10日、プエルトリコのサンフアンで元IBF世界ミニマム級王者ダニエル・レイジェスとWBO世界同級タイトルマッチを行い、12回3-0(120-109×2、119-109)の判定勝ちで7度目の防衛に成功した。
2006年2月18日、ネバダ州ラスベガスのアラジンで元WBC世界ミニマム級王者イサック・ブストスとWBO世界同級タイトルマッチを行い、12回3-0(120-108×2、119-109)の判定勝ちで8度目の防衛に成功した。
2006年4月29日、ミゲル・テレスとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、9回1分4秒TKO勝ちで9度目の防衛に成功した。
2006年10月21日、コロンビアのバランキージャでホセ・ルイス・バレラとWBO世界ミニマム級タイトルマッチを行い、12回3-0(119-108、118-109×2)の判定勝ちで10度目の防衛に成功、この勝利によりWBOからスーパー王座に認定された[4]。
2007年4月28日、コロンビアでロナルド・バレラと対戦し12回2-1(115-113×2、113-115)の判定勝ちで最大の苦戦を演じたカルデロンは薄氷で11度目の防衛に成功した。同年、WBO世界ミニマム級王座を返上。
2階級制覇達成
2007年8月25日、バヤモンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスでWBO世界ライトフライ級王者ウーゴ・カサレスとWBO世界同級タイトルマッチを行い、8回にダウンを奪われるも何とか巻き返し12回2-1(111-116、115-112×2)の判定勝ちで王座獲得と2階級制覇を成し遂げ、リングマガジンから同誌ライトフライ級王座に認定された。
2007年12月1日、ニューメキシコ州でファン・エスクゥイアとWBO世界ライトフライ級タイトルマッチを行い、12回3-0(115-113、116-112、118-110)の判定勝ちで初防衛に成功した。
2008年4月5日、サンフアンで元WBO世界ライトフライ級王者ネルソン・ディーバとWBO世界同級タイトルマッチを行い、12回3-0(3者とも120-108)の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。
2008年8月30日、バヤモンで元WBO世界ライトフライ級ウーゴ・カサレスとWBO世界同級タイトルマッチで再戦し、7回に偶然のバッティングで額を裂傷しドクターストップ。7回1分58秒3-0(67-66、68-65×2)の負傷判定勝ちで3度目の王座防衛に成功した。
2009年6月13日、マディソン・スクエア・ガーデンでWBO世界ライトフライ級12位のロデル・マヨールとWBO世界同級タイトルマッチを行い、4回に偶然のバッティングで額を裂傷し、これが悪化して6回1分50秒1-1(58-56、56-58、57-57)の判定により6回負傷引分に終わるも4度目の王座防衛に成功した。
2009年9月12日、ロデル・マヨールとダイレクトリマッチによるWBO世界ライトフライ級タイトルマッチを行い、7回にまたしても偶然のバッティングで負傷し7回終了時に試合が終了。2試合連続で負傷判定にもつれ込むも2-1(68-65×2、65-68)の負傷判定勝ちで5度目の防衛に成功した。
2010年6月12日、マディソン・スクエア・ガーデンでヘスス・イリベとWBO世界ライトフライ級タイトルマッチを行い、2回にダウンを奪われるもその後は落ち着いて試合を支配し12回3-0(116-111、2者が118-109)の判定勝ちで6度目の防衛に成功した。
2010年8月28日、グアイナボのコリセオ・マリオ“キホーテ”モラレスでWBA世界ライトフライ級王者ジョバンニ・セグラと王座統一戦を行うも、プロ初黒星となる8回1分34秒KO負けを喫しWBA王座の獲得に失敗、WBO王座の7度目の防衛にも失敗し、カルデロンは3年間保持してきたWBO王座をセグラに明け渡す結果となり、WBA王座とWBO王座の統一に失敗した[5]。
2011年4月2日、メキシコバハ・カリフォルニア州メヒカリのアウディトリオ・デル・エスタードに出向いてジョバンニ・セグラとダイレクトリマッチを行うも、3回1分39秒KO負けを喫しWBO世界ライトフライ級王座への返り咲きに失敗した[6]。
2011年10月29日、WBOラテンアメリカミニマム級王座決定戦でフェリペ・リバスと対戦し、10回2-1(97-93、96-94、94-96)の判定勝ちで王座を獲得した。
2012年10月6日、バイモンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスでウィルフレド・バスケス・ジュニア対ジョナサン・オケンドの前座でWBO世界ミニマム級王者モイセス・フェンテスと指名挑戦者としてWBO世界同級タイトルマッチを行い、序盤からカルデロンのスピードにフェンテスが追いつけずペースを握るも、フェンテスがボディ攻撃に活路を見出すと4回にフェンテスの執拗なボディ攻撃で失速。5回開始早々にフェンテスの左右フックをボディに決められダウンを奪われ完全にひっくり返された。その後ロープを背負いフェンテスのボディ攻撃を受け2度目のダウンを奪われる。最後は右ストレートがレバーに当たるとカルデロンが膝から崩れるように3度目のダウンを奪われレフェリーがストップを宣告。5回1分22秒TKO負けで5年振りのミニマム級王座返り咲きに失敗、その後現役を引退した[7]。