イラン空軍
イラン・イスラム共和国の空軍
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イラン・イスラム共和国空軍(イラン・イスラムきょうわこくくうぐん ペルシア語: نیروی هوایی ارتش جمهوری اسلامی ایران、英語: Islamic republic of iran Air Force、略称:IRIAF)とはイラン・イスラム共和国の空軍組織である。
| イラン・イスラム共和国空軍 نیروی هوایی ارتش جمهوری اسلامی ایران | |
|---|---|
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| |
| 創設 | 1925年 |
| 国籍 |
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| 軍種 | 空軍 |
| タイプ | 軍事航空 |
| 任務 | 航空戦闘 |
| 上級部隊 | イラン・イスラム共和国軍 |
| 基地 | テヘラン |
| モットー |
بلند آسمان جایگاه من است 高空が我の居場所 |
| 戦歴 |
イラン進駐 ドファールの反乱 イラン・イラク戦争 シリア内戦 イスラム国への軍事的介入 |
| 指揮 | |
| 司令官 | ハミッド・ヴァへディ准将 |
| 識別 | |
| 国籍識別標 |
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| フィンフラッシュ |
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| 空軍旗 |
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| 使用作戦機 | |
| 攻撃機 | Su-24 |
| 電子戦機 | ボーイング707 |
| 戦闘機 |
MiG-29 F-5E F-4D/E F-14A |
| 輸送ヘリ | CH-47C |
| 練習ヘリ | ベル 206 |
| 汎用ヘリ | ベル 212 |
| 哨戒機 | P-3F |
| 偵察機 | RF-4 |
| 練習機 |
PC-7 F-5B/F Yak-130 |
| 輸送機 |
PC-6 C-130E/H Il-76 |
| 給油機 |
ボーイング707 ボーイング747 |
概要
編成
イラン空軍は、1979年の革命前にアメリカ、イギリス、イタリアなどの西側諸国から大量に購入した戦闘機やヘリコプターなど、それに加えて革命後にソ連、中国などから購入した戦闘機、輸送機など、そして、湾岸戦争時にイラクから大量に逃げてきた戦闘機やヘリコプターなどさまざまな機種が存在する。
しかし、革命前に購入したものは、その後の西側諸国との関係悪化に伴う供給停止による部品不足、整備不良などが問題となっているうえ、革命後に購入したソ連製などにしてもエンジン寿命が短く整備費用が高いなどさまざまな問題があり、全体的に稼働率は低いと思われる。また、今のところ湾岸戦争でイラクから亡命してきた機体が何機か返還されていないようだが、見た目の良さに加えて整備性が程良いと言われている[1]。
機種と保有数
革命前に導入した機体の状態や数は不明な点が多く、稼働数の実数は不明である。
通常の戦闘機[2]の他、ステルス戦闘機(ガーヘル 313)[3]を国産開発したとされる。
- 戦闘機/攻撃機
- Su-35SE - 2機(50機配備予定)[4]
- F-14A トムキャット - 41機
- MiG-29B/UB - 19機
- F-5A/B/E/F/アザラフシュ/サーエゲ - 102機
- F-4D/E ファントムII - 64機
- Su-24MK - 36機(このうち24機はイラクから亡命)
- F-7M/FT-7 - 17機
- F-6/FT-6 - 15機(退役済)
- ミラージュF1EQ/BQ - 12機(イラクから亡命)
- 輸送機/作戦支援機
- C-130E/H ハーキュリーズ - 28機
- P-3F オライオン - 5機
- Il-76MD - 5機
- Il-76AEW - 2機(イラクから亡命)
- ボーイング707 - 4機 空中給油機/輸送機
- ボーイング747 - 9機 空中給油機/輸送機
- ボーイング707 - 2機 電子戦機
事件・事故
1981年C-130墜落事故
1981年9月29日夜、空軍のC-130輸送機がテヘラン近郊で墜落し、イラン・イラク戦争での占領地視察を終えてテヘランに戻る途中だった国軍・革命防衛隊の最高幹部4名(ファラヒ国軍参謀総長、ナムジュ国防相、ファクリ参謀本部顧問、コラフドズ革命防衛隊副司令)らが死亡した[5]。
1993年テヘラン空中衝突事故
1993年2月8日、イランのメヘラーバード国際空港からイランエアツアーズのTu-154Mが29R滑走路から離陸し、同時刻にイラン空軍のSu-24が同空港の滑走路29Lへの着陸態勢へ入っていた。14時16分に両機が空中で衝突し、同空港から15.1km離れた町に墜落した。この事故により、両機の搭乗者計133名が死亡した。
→詳細は「テヘラン空中衝突事故」を参照