2013年2月22日、テッサリト(fr:Tessalit)に近い国境の村インカリールにてMUJAOは自爆攻撃を敢行する。2人の自爆攻撃員はMNLA戦闘員3人を殺害する。他に4人が重症を負い、車両3台が破壊される。これに対しMNLAはMUJAOを批難する[3]。翌日、MUJAOのスポークスマンは声明を出し前日の攻撃を認め、無神論者に対して聖戦を続行すると表明する[4]。
2月23日朝、イスラム戦闘員達はインカリールに配置されていたMNLA部隊を攻撃する。攻撃部隊はオマル・ウルド・ハマハの統制下にあるとされ、多数の車両が町の北西部と北東部から攻撃を仕掛ける[5]。MNLAの公式発表ではMUJAOの攻撃に対して主導権を握ったとしている[6]。アザワド・アラブ運動の代表の一人が述べる所では、この攻撃に加わっていたとされる[7][2]。
この運動は4時間にわたって受けたインカリールでの攻撃について、MNLAによるアラブ人への報復であると主張した[2]。これらトゥアレグ人戦闘員はアラブ人の車両の全てを押収し、取引を無効にし、そして女性を強姦した、としている[2]。MAAはMNLAとの交渉が決裂し、運動はマリ北部での大規模自治体を求めており「テロリズムをはじめ、麻薬密売や組織犯罪に対してフランスと共闘する」と明言している[2]。
攻撃側は数十、おそらく車両30台程度の規模であると推定される[1]。午後にはMAAは村を制圧したとしたが、しかし、MNLAも「我が軍はインカリール北西部10㎞地点でイスラム戦闘員を撃退した」として勝利宣言している[2]。MAAのブーバカル・ウルド・ターレブ(Boubacar Ould Taleb)によれば、戦闘は午後まで続き「減殺」されたとしている[8]。
その後MNLAは、MUJAO、MAA、そしてアンサール・アル=シャリーアを相手に戦いを継続し、午後終わり頃に戦闘が終結したと言明する[9]。MNLAのスポークスマンは「アザワド・アラブ運動は僅かな間だけその姿を表しており、その後すぐに消えた。攻撃を指示した幹部の中でその名が最初に挙がったのはMUJAOのナンバーツーであるオマール・ウルド・ハマハで、事態の最後に至りフランス軍が介入した」と伝えた[10]。
MAAも平穏を取り戻したことを認め、「フランス軍機はアルジェリア国境9kmの地点、インカリールで我らの車の内1台を爆撃した」とフランス軍機の介入を批難する。マリの治安当局筋でも「インカリールにあった車両がフランス軍機によって破壊された」と明言する[9]。
戦闘は2月23日午後に終結するも、両勢力はお互いに勝利宣言しインカリールの支配権を主張する[1]。車列の内、一つはアルジェリアに向けて撤退している[1]。
翌日、MAAの拠点イン=ファラー(In-Farah)がフランス軍機よって爆撃される。MAAのブーバカル・ウルド・ターレブは「何故フランスは我らを攻撃するのか?何故MNLAに利することをするのか?」と、この攻撃を批難した。彼はこの空爆で兵士4人が負傷し、車両5台が破壊された述べている[11][12]。