インゴルフ・ダール
From Wikipedia, the free encyclopedia
ハンブルクでドイツ人の父親とスウェーデン人の母親の間に生まれる。本名はヴァルター・インゴルフ・マルクス(Walter Ingolf Marcus)。1930年から1932年までケルン音楽大学でフィリップ・ヤルナッハとヘルマン・アーベントロートに学んだが、1933年にナチス政権が誕生すると、祖先にユダヤ人がいたため不安を抱いてスイスに逃れ、チューリッヒ大学でフォルクマール・アンドレーエに師事した。その後、チューリッヒ歌劇場で働き、アルバン・ベルクの『ルル』とパウル・ヒンデミットの『画家マティス』の初演に際しては合唱指導を行った。
しかしスイスではユダヤ人難民の風当たりが強くなったため、1939年にアメリカ合衆国へ渡った。アメリカではミドルネームと母の旧姓をとって、インゴルフ・ダールと名乗り、スウェーデン人と主張してユダヤ系であることを否定した。1943年に合衆国市民権を取得し、1945年に南カリフォルニア大学の教員となり、作曲と音楽史を担当した。その間、ロサンゼルスのエルンスト・クルシェネク、ダリウス・ミヨー、アルノルト・シェーンベルク、イーゴリ・ストラヴィンスキー、エルンスト・トッホらの亡命音楽家のコミュニティに参加し、シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』を英訳したり、ストラヴィンスキーの著書『音楽の詩学』を英訳したりしている。さらに映画音楽の作編曲や指揮も行った。
また1945年から1958年まで南カリフォルニア大学交響楽団を指導し、従来のレパートリーに加え、アーロン・コープランド、ルーカス・フォス、チャールズ・アイヴズ、ウォルター・ピストン、カール・ラッグルズなどの現代的な作品を取り入れた。
代表作には1949年に初演された『アルト・サクソフォーンと吹奏楽のための協奏曲』や遺作の『ヴァイオリンとオーケストラのための悲歌協奏曲』などがある。作風には新古典主義音楽の要素が見受けられる。
教え子には指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスや作曲家のモートン・ローリゼンらがいる。
両性愛者であった。16歳のときに画家の Eduard Bargheer と関係をもった[1]。アメリカに渡ったのち Etta Gornick Linick と結婚。妻のエッタは彼の性的指向を受け入れ、秘密が漏れないよう夫の活動を助けたという[2]。