インドラヴァルマン1世
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サティヤヴァルマン(中国語版)の弟[1][2]。兄王の死後、王位を継承した。当時の唐は朱泚が起こした涇原の兵変(中国語版)の余波によって南方を顧みる余裕がなく、その間隙を突いて安南都護府の管轄する驩州・愛州に侵攻した。当時のチェンラは陸真臘と水真臘に分裂していたが、これに乗じてチェンラにも侵攻するなど盛んに外征を行った。
787年、ジャワの海からやってきた賊(ダラニンドラ(英語版)治下のシャイレーンドラ朝か)によって王都ヴィラプラ(中国語版)の西方にあったバドラディパティシュヴァラ(現在のファンラン=タップチャム付近)の寺院を破壊されて[1]宝物を奪われ、その地にいた戦士や奴婢は皆殺掠された。793年10月には第4王朝(林邑国(中国語版))のルドラヴァルマン2世以来43年ぶりとなる唐への朝貢を行って[1]犀牛を献じている。799年、インドラヴァルマン1世は3つのカラン(ドイツ語版)を新たに建造してバドラディパティシュヴァラの寺院を再建し[1][3]、インドラバドレーシュヴァラ、シャンカラ、ナーラーヤナを祀った。
出典
参考資料
- George Cœdès (May 1, 1968). The Indianized States of South-East Asia. University of Hawaii Press. ISBN 978-0824803681
- Sailendra Nath Sen (1999). Ancient Indian History and Civilization. New Age International. ISBN 978-8122411980
- Geetesh Sharma (2010). Traces of Indian Culture in Vietnam. Rajkamal Prakashan. ISBN 978-8190540148
- 『唐会要』巻九十八 林邑国
- 『冊府元亀』巻九百七十二 朝貢第五
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