ウァレリア・マクシミラ
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マクシミラは、後のローマ皇帝(東方正帝)ガレリウスの娘である。母はガレリウスの最初の妻だが、名前は判明していない。293年ごろ、西方正帝マクシミアヌスの息子であるマクセンティウスと結婚した。これはガレリウス家とマクシミアヌス家の関係を深めるための政略結婚と考えられている。マクセンティウスとの間には2人の子を儲けたが、そのうち名前が判明しているのは長男のウァレリウス・ロムルスのみである。次男については、312年に処刑されたアウレリウス・ウァレリウスと推察されているが、定かではない。マクシミラは皇帝の娘であるため、「ノビリッシマ・フェミナ」(Nobilissima Femina、最も高貴な女性)の名誉称号を有していた。
306年10月、マクセンティウスはマクシミラの父であるガレリウスの反対を押し切って、皇帝に擁立された。ガレリウスは307年に「簒奪者」であるマクセンティウスの打倒を試みたものの、失敗している。その後、マクセンティウスは312年にコンスタンティヌス1世がイタリアに侵攻するまでの間、ローマ、イタリア、アフリカの支配者であり続け、マクシミラもローマ皇后として君臨した。少なくともミルウィウス橋の戦いまでは、マクセンティウスとマクシミラは共に過ごしていたことが分かっているが、戦いの後、マクシミラは歴史から姿を消しており、以降の消息は不明である。
マクシミラの肖像は、マクセンティウス治世下に発行された貨幣に一切描かれていない。なお、現在カピトリーノ美術館に収蔵されている損傷した彫像が、マクシミラのものであると推測されている。この彫像がマクシミラだとすると、マクセンティウスの失脚後、彼同様にその彫像が毀損された可能性がある[2]。