ウィリアム・キャヴェンディッシュ (初代デヴォンシャー公爵)

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初代デヴォンシャー公ウィリアム・キャヴェンディッシュ

初代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ(William Cavendish, 1st Duke of Devonshire, KG PC FRS, 1640年1月25日 - 1707年8月18日)は、イングランド貴族・政治家。1684年までキャヴェンディッシュ卿儀礼称号を使用した。

1641年1月25日に生まれた[1]。父は第3代デヴォンシャー伯爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ、母は第2代ソールズベリー伯爵ウィリアム・セシルの娘エリザベス[1]

1661年4月23日のチャールズ2世戴冠式に参加、同年から1681年までダービーシャー選挙区英語版の代表としてイングランド庶民院議員を務めた[1]。議会ではホイッグ党に属し、王位排除法案に賛成した[1]。1679年4月22日に枢密顧問官に任命されたが、議会閉会に抗議して1680年1月31日に辞任した[1]

1663年5月20日に王立協会の設立とともにフェローに選出され、同年9月28日にオックスフォード大学よりM.A.の学位を授与された[1]第二次英蘭戦争ではヨーク公ジェームズの部下としてローストフトの海戦に参戦した[1]

1684年11月23日に父が死去すると、デヴォンシャー伯爵位を継承した[1]

1685年4月23日のジェームズ2世戴冠式に参加したが、ジェームズ2世に反対して、1688年6月に6名の政治家・主教と連名でオランダ総督ウィレム3世(後のウィリアム3世)に招聘状を送った[1]1689年にウィリアム3世・メアリー2世夫妻が即位して名誉革命が成功すると、1689年2月14日に枢密顧問官に復帰、4月3日にガーター勲章を授与され、4月11日のウィリアム3世・メアリー2世戴冠式に参加した[1]。同年にダービーシャー統監英語版に、1690年に北トレント巡回裁判官に任命され、いずれも1707年まで務めた[1]。このほか、1692年から1694年までノッティンガムシャー統監英語版を務めた[1]

1694年5月12日、イングランド貴族であるダービーシャーにおけるハーティントン侯爵に叙され、デヴォンシャー公爵へ陞爵された[1]。メアリー2世の死後、1695年から1701年までウィリアム3世が度々イングランドを留守にしたときイングランドを任されるようになった[1]。1702年4月23日のアン女王戴冠式に参加した[1]

1707年8月18日にピカデリーデヴォンシャー・ハウス結石により病死、9月1日にダービー諸聖人教会英語版(のちのダービー聖堂)に埋葬された[1]。長男のウィリアムが爵位を継いだ[1]

家族

出典

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