モーリーはヴァージニア州で、ウィリアム・グライムズ・モーリーとアン・フームズ・ウールフォークの子として生まれ、1829年に海軍のミッドシップマン(士官候補生)となった。のちに従兄でアメリカ海軍天文台の所長を務めたマシュー・フォンテーン・モーリーのもとで働き、海図作成・天文観測・航路研究に従事した。
1838年から1842年にかけて実施された米国探検遠征隊では、中尉としてUSS Vincennes、USS Peacock、USS Porpoiseなど複数の艦に乗り組み、太平洋を航海した。遠征中、ピュージェット湾の調査で発見されたモーリー島(Maury Island、ワシントン州)は、彼の功績にちなみ命名された。
1854年にはペリー提督の日本遠征に参加し、日米間の条約締結に関わる任務に従事した。さらに1860年には「日本条約委員会」の一員となり、アメリカ側の外交実務を担当した[2]。
1861年に南北戦争が勃発すると、モーリーはアメリカ海軍を辞職して南軍海軍へ転じ、まずバージニア州スウェルズ・ポイント沿岸砲台に配属された。のちに機雷(当時の「トーピードー」)部隊に転属し、ウィルミントン、シャーロット、チャールストンなど各地で沿岸防衛を担当した。さらに商船破壊艦CSS Georgiaの艦長として行動し、軍需物資を積んだ北軍商船を拿捕・撃沈する一方、民間商船は解放するなど国際法を意識した作戦を行った。
その業績にちなみ、ワシントン州のモーリー島、南極大陸のモーリー湾(Maury Bay、Cape Lewis 東)などが命名されている[3]。1878年11月27日に死去した[4]。