ウィルブラハム・エジャートン (初代エジャートン伯爵)
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初代エジャートン男爵ウィリアム・タットン・エジャートンと妻シャーロット・エリザベス(1811年4月22日 – 1878年9月11日、第2代イーリー侯爵ジョン・ロフタスの娘)の息子として、1832年1月17日に生まれ、チェシャーのロスサーンで洗礼を受けた[1]。1845年から1850年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1850年5月23日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1854年にB.A.、1862年にM.A.の学位を修得した[2]。
1851年5月1日、チェシャー・ヨーマンリー連隊の中尉に任命された[3]。1863年5月5日に大尉に昇進[4]、1881年7月1日に少佐の名誉階級を与えられた[5]。1887年5月4日にヨーマンリー連隊から辞任した[6]。1882年3月29日、チェシャーの副統監に任命された[7]。1900年3月19日にチェシャー統監に任命され[8]、1905年まで務めた[1]。1883年時点でチェシャーに8,876エーカー、ランカシャーに1,870エーカー、ダービーシャーに424エーカー、ダラム州に389エーカーの領地を所有し、合計で年収32,490ポンドに相当した[1]。
1858年8月、父の議員辞任に伴いノース・チェシャー選挙区で補欠選挙が行われると、エジャートンは保守党候補として出馬、無投票で当選した[9]。1859年、1865年の総選挙でも無投票で再選した[9]。第2回選挙法改正でノース・チェシャー選挙区が分割されると[9]、1868年イギリス総選挙でミッド・チェシャー選挙区から出馬、3,063票(得票数1位)で当選した[10]。1874年イギリス総選挙では無投票、1880年イギリス総選挙では3,868票(得票数1位)で再選した[10]。
1883年2月21日に父が死去すると、エジャートン男爵位を継承した[1]。1887年にイングランド王立農業協会会長、1887年から1894年までマンチェスター・シップ運河社長を務めた[1]。
フリーメイソンの1人であり、1886年から1900年までチェシャー州フリーメイソンのグランドマスターを務めた[11]。
農業と馬の飼育に興味を持ったほか、敬虔に教会に通う人物だった[1]。
1897年7月22日、連合王国貴族であるランカスター州におけるサルフォード子爵、チェスター州タットンにおけるエジャートン伯爵に叙された[1][12]。
1909年3月16日にイタリア王国ボルディゲーラで死去、25日にロスサーンで埋葬された[1]。エジャートン伯爵位は廃絶、エジャートン男爵位は弟アランが継承した[1]。
