ウィンチェスター M1895

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Model 1895
種類 レバーアクション式小銃
原開発国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
運用史
配備期間 1895年 - 1945年
関連戦争・紛争 米西戦争
米比戦争
メキシコ革命
第一次世界大戦
フィンランド内戦
ロシア内戦
ポーランド・ソビエト戦争
スペイン内戦
第二次世界大戦
開発史
開発者 ジョン・ブローニング
開発期間 1895年
製造業者 ウィンチェスター・リピーティングアームズ
ブローニング・アームズ
製造期間 1895年 – 1940年(オリジナル; 1936年 - 1940年に特別に再生産)
1984年(ブローニング; 限定生産)
1995年 - (ウィンチェスター; 限定版)
製造数 およそ425,000丁
諸元
重量 4.2 kg (9.3 lb)[1]
全長 1,175 mm (46.3 in)[1]
銃身 710 mm (28 in)[1]

弾丸 .30-40クラグ弾
7.62x54mmR弾
7.92x57mmモーゼル弾
.303ブリティッシュ弾
.30-30ウィンチェスター弾英語版
.30-06スプリングフィールド弾
.35ウィンチェスター弾英語版
.38-72ウィンチェスター弾英語版
.40-72ウィンチェスター弾英語版
.405ウィンチェスター弾英語版
作動方式 レバーアクション方式
装填方式 5連発または4連発内蔵弾倉
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ウィンチェスター M1895: Winchester Model 1895)は、ウィンチェスター・リピーティングアームズ19世紀末に開発したレバーアクション式小銃である。7.62x54mmR弾.303ブリティッシュ弾.30-30ウィンチェスター弾英語版.30-40クラグ弾.30-06スプリングフィールド弾.35ウィンチェスター弾英語版.38-72ウィンチェスター弾英語版.40-72ウィンチェスター弾英語版.405ウィンチェスター弾英語版など、各種のフルサイズ軍用・狩猟用弾薬を使用するバリエーションがあった。

M1895の断面図

最初に設計されたM1895は、機関部下に内蔵式の箱型弾倉を備えており、M1866以来採用されてきたチューブ型弾倉を廃止した最初のウィンチェスター・ライフルであった。これにより、それまで暴発の危険性から使用する事が出来なかった尖頭弾[注釈 1]である軍用・狩猟用小銃弾を安全に装填することが可能となった。また、M1895はジョン・ブローニングが最後に手掛けたレバーアクション式小銃であり、M1886のように彼がかつて手掛けたライフルと同様、リアロッキングボルトを特徴とした。M1895はウィンチェスター社で設計されたレバーアクション式小銃としては最も強力なもので、発表当時普及していた無煙火薬弾の圧力に十分耐えうる構造をしていた。ただし、現代的な基準に照らし合わせると、比較的耐久性に劣り、高圧力弾の使用には適さない銃と見なされている[2]

製造番号5000の前後で、側面に溝の掘られた新しい機関部が採用された。これにより重量がわずかに軽くなり、横幅は1/16インチ程度広くなった。製造番号6000の時点で、側面に溝のない旧式機関部の在庫部品が払底したと考えられている。現在、旧式機関部を備えるM1895の現存品は非常に希少である[3]

軍用銃として

M1895で武装したロシア兵(1916年)

1915年から1917年にかけて、およそ300,000丁のM1895が、手綱を握ったまま片手で射撃できる銃を求めていたロシア帝国軍騎兵隊向けに製造され、これはM1895の製造が中止される1936年までの生産数のうちおよそ7割を占める。ロシア向けの7.62x54mmR弾仕様モデルは、レバーアクション式小銃としては珍しくクリップガイドが設けられており、モシン・ナガン小銃用の挿弾子を使用して装填を行うことができた[4]。また、ロシア向けモデルは標準モデルよりも長いフォアグリップと着剣装置を備えていた[5]。 こうしたロシア側からの要望に基づく再設計、とりわけクリップガイドの追加が想定よりも困難であったため、納入は当初予定よりも遅れている[6]。また、ロシア側の銃器検査官が(ロシアに検査器が無いにもかかわらず)ウィンチェスター社の検査器を用いることを拒否したり[6]、ウィンチェスターがロシア向けに製造していた弾薬ではなくロシア製の弾薬を輸入した上でテストに用いることを要請したり[7]、さらには銃床の木目の傾き具合など実用に全く無関係の「欠陥」を理由に返品を繰り返したことで[7]、M1895の納入は一層と遅れた。ロシアが「欠陥」を指摘し返品したライフルは、後にアメリカの民生銃器市場にて販売された[7]。ロシア帝国軍は、フィンランドバルト諸国の部隊、特にラトビア狙撃兵師団英語版に対してM1895の大部分を支給した[8]。また、少なくとも9,000丁のM1895が、1936年にソビエト連邦からスペイン内戦における共和派に供給されたことが知られている[9]

ロシア以外での軍用銃としての運用例は極めて少ない。アメリカ政府は米西戦争の際に.30アーミー弾(.30-40クラグ弾)仕様のモデルを10,000丁注文したが、前線に届く前に終戦を迎えている[5]。これらのライフルには合衆国政府の財産であることを示すU.S.の刻印が機関部上に施されていたほか、銃床はM1895 リー・ネイビー英語版とよく似た形状のものに改められ、8.3125インチ (21.114 cm)のナイフ形銃剣が着剣できるようになっていた。大部分の部品には検査官、ケリー・S・ムース(Kelly S. Morse)が担当したことを示すK.S.M.の刻印があった。米比戦争では、第33義勇歩兵連隊向けにこれらのライフルのうち100丁ほどが支給された。1899年12月25日に終了した試験の報告書では、クラッグ・ヨルゲンセン・ライフルが軍用に適した小銃とされた。残されていた9,900丁のライフルは、M・ハーレー社(M. Harley Company)が買い取り、1906年にキューバへと送られた[10]。そのうち一部はメキシコへと流れ、メキシコ革命の際にはパンチョ・ビリャ配下の兵士らに愛用されたという[3]

この時期、セオドア・ルーズベルトは.30アーミー弾仕様のM1895を個人的に購入している。.30アーミー弾仕様のモデルは、1896年にニューヨーク州兵による審査にも参加したが、サベージ M1895英語版に次ぐ2位に留まった[11]。マガジンカットオフ機能とマガジンカウンターを備えない点が短所として指摘された[12]。ウィンチェスター社は審査結果に強く異議を唱え、サベージ社に有利に仕組まれていたのだと主張した。その後の政治的な論争を経て、サベージM1895の契約は取り消されることになった[13]

民生銃として

脚注

外部リンク

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