ウイリアム・エルダー (宣教師)
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アメリカ合衆国アーカンソー州の田舎で[5]、貧しい農家に育つ[1][6]。
父親は第一次世界大戦の傷痍軍人で、優しい人物であったというが、エルダーの幼少期には既にアルコール依存症となっており、しばしば家庭内暴力を振るっていたという[1][4]。
1943年に、高校から飛び級で、アーカンソー州コンウェイのヘンドリックス・カレッジ(英語版)へ進んで[1]3年間学び、在学中から信徒伝道者として、牧師に準じる活動に入る[7]。
1948年12月に、日本基督教団に所属する宣教師として来日し[2]、長崎県諫早市の鎮西学院高等学校の教師となった[8]。
その後、テキサス州ダラスの南メソジスト大学のパーキンス神学大学院に進んだ[7]。
1951年に再度来日。鳥取県などで活動し、さらに1966年から1969年には返還前の沖縄の与那原町で、与那原教会の牧師として牧会した[2]。1966年の平良修牧師によるアンガー琉球列島高等弁務官の就任式における祈祷の際には、事前に平良牧師に助言を与えた[2][3]。
沖縄を離れ、米国に一時帰国した際に、「いのちの電話」について知り[9]、その後、東京都に移ってから、1973年には東京英語いのちの電話 (TELL) 設立時の研修に関わり、さらに大阪府に移って1980年には関西いのちの電話の研修に関わって、グループリーダー、スーパーバイザー、養成講座講師などを務めた[4]。
1980年に学校法人大阪女学院に入職し、以降、大阪女学院短期大学や大阪女学院大学で教鞭を執る。1983年に大阪女学院短期大学教授となり、1989年から1993年にかけて[要出典]は大阪女学院短期大学学長も務め、退職後は名誉教授となった[2][3]。
脚注
- 1 2 3 4 あるアメリカ人宣教師の軌跡②〜ウイリアム・エルダーさんと沖縄〜誕生から沖縄まで - YouTube - 山中速人による、2016年収録の動画。
- 1 2 3 4 5 6 7 「ウイリアム・エルダー宣教師&平良 修牧師「証言会~米軍占領下の沖縄の教会~」2019年11月21日 沖縄キリスト教学院 シャローム会館」『沖縄教区報・道しるべ』(PDF)、第278号、日本基督教団沖縄教区、2019年12月、2-3頁。2025年12月13日閲覧。
- 1 2 3 4 「沖縄統治の米最高責任者の就任式で米軍批判の祈りをささげた牧師 50年ぶりに米宣教師と再会 2人の目に沖縄の現状はどう映ったのか (PDF)」琉球新報社、2019年11月21日、2–3頁。2025年12月13日閲覧。
- 1 2 3 「エルダーものがたりI」『関西いのちの電話』(PDF)、第152号、社会福祉法人関西いのちの電話、2015年12月、3頁。2025年12月14日閲覧。
- ↑ 「エルダーものがたりII」『関西いのちの電話』(PDF)、第153号、社会福祉法人関西いのちの電話、2016年4月、3頁。2025年12月14日閲覧。
- ↑ 「エルダーものがたりIII」『関西いのちの電話』(PDF)、第154号、社会福祉法人関西いのちの電話、2016年7月、5頁。2025年12月14日閲覧。
- 1 2 「エルダーものがたりVI 〜牧師をしながらの大学生活〜」『関西いのちの電話』(PDF)、第157号、社会福祉法人関西いのちの電話、2017年7月、5頁。2025年12月14日閲覧。
- ↑ 「エルダーものがたりVI 〜(1948〜1949)〜」『関西いのちの電話』(PDF)、第158号、社会福祉法人関西いのちの電話、2017年12月、3頁。2025年12月14日閲覧。
- ↑ 「エルダーものがたりXI(1978年〜1979年)」『関西いのちの電話』(PDF)、第162号、社会福祉法人関西いのちの電話、2019年4月、3頁。2025年12月14日閲覧。
- ↑ あるアメリカ人宣教師の軌跡①〜ウイリアム・エルダーさんと沖縄〜 プロローグ - YouTube - 山中速人による、2016年収録の動画。
外部リンク
- 米軍占領下の沖縄の教会〜平良修牧師&ウィリアム・エルダー宣教師 証言会〜 - YouTube - 山中速人による2019年収録の動画。