ウォルター・ギファード (ロングヴィル領主)

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在位 1045年 - 1084年ごろ
死去 1084年ごろ
配偶者 エルメンガルド・フレテル
子女 ウォルター
ウィリアム
ロエーズ
ウォルター1世・ギファード
Walter I Giffard
ロングヴィル領主
在位 1045年 - 1084年ごろ

死去 1084年ごろ
配偶者 エルメンガルド・フレテル
子女 ウォルター
ウィリアム
ロエーズ
家名 ジファール家
父親 ロングヴィル領主オスベルン・ド・ボルベック
母親 ウェヴィー・ド・クレポン
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ロングヴィル領主ウォルター・ギファード(Walter Giffard, Lord of Longueville, ? - 1084年ごろ)は、ノルマン人領主。イングランドにおける領主であり、レコンキスタ中にスペインでサラセン人と戦ったキリスト教の騎士、1066年のヘイスティングスの戦いに参加したウィリアム征服王の約15人の仲間の1人として知られている。

ウォルター[注釈 1]はロングヴィル領主オスベルン・ド・ボルベックの息子で、ノルマンディー公爵夫人グンノールの姉妹との間に生まれた[注釈 2]。そのため、ウィリアム征服王の祖父リシャール2世の従兄弟にあたる[5]。1040年代半ばから、ウォルターの名前はウィリアム征服王の忠実な支持者の一人として登場する[6]。ウォルターはモルテメールの戦いに参加し、東からノルマンディーを攻撃していたフランス軍を率いるウード伯とルノー伯を奇襲して破ったノルマン人貴族の一人であった[7]。特に、ウォルターともう一人の家臣ウー伯ロベールはモルテメールの村に駐屯していたウードの軍と遭遇したが、歩哨もおらず兵士たちは酒に酔っていた[8]。ノルマン人はフランス軍が眠っている間に攻撃し、そのほとんどは殺されるか捕虜になったがウード自身は逃れた[8]フランス王アンリ1世は弟ウードの軍隊の様子を知ると、すぐに残りの軍を撤退させ、ノルマンディーを去った[8]。1054年、ウォルターは征服王に反乱を起こしたウィリアム・オブ・タルー(ノルマンディー公リシャール2世の息子)に対抗してアルク城の包囲を維持する任務を負った[9]

11世紀から12世紀初頭にかけてのノルマンディーやフランスの騎士の多くと同様に、ウォルターもキリスト教徒の騎士としてスペインでサラセン人と戦った(1064年頃 - 1065年)[10]。バルバストロ包囲戦(1064年、教皇アレクサンデル2世の認可を受けたムーア人に対する戦い)に参加したことで、「le Barbastre(バルバストレ)」の異名で知られるようになった[注釈 3][10]。この包囲戦は、当時の最も有名な偉業の一つである。ノルマン・コンクェストの頃、ウォルターはスペイン王からウィリアム征服王への贈り物として立派な軍馬を携えてノルマンディーに戻っていた。ヘイスティングスの戦いの朝、ウィリアム征服王が要求したのと同じスペインの軍馬である[10]。このスペイン王とは、おそらくアラゴン王サンチョ・ラミレス(1063年 - 1094年)で、サンチョは北フランスと友好関係を築き、騎士や兵士を募ることで知られていた[13]。ウォルターはバルバストロの包囲の後、ノルマンディーに戻る前にサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼に出かけた[13]

1066年1月初旬、ウィリアム征服王はハロルド・ゴドウィンソンがイングランド王に戴冠したという知らせを受け取ると、リルボンヌ会議と呼ばれる会議を招集した。会議には6人の有力な貴族が参加し、その中の1人がウォルター・ギファードであった[14]。ウィリアム征服王はイングランドに侵攻し王位を奪取する計画を貴族たちに伝えると、貴族たちはウィリアム征服王を全面的に支持したが、家臣全員を集めた会議を招集するよう提案し、ウィリアム征服王はそれに従った[14]。ヘイスティングスの戦いの準備段階では、ウォルターはウィリアム征服王の艦隊に船を提供したノルマン貴族の1人であった。ウォルターは30隻もの船を提供した[15]。ウォルターは、戦いでウィリアム征服王の旗を担ぐ特権を得た2人のうちの1人であった。この頃には白髪の老戦士となっていたが、両手を自由に使えるようにしておきたかった[1]。ウォルターは、その貢献に対する褒賞として、ロング・クレンドン男爵領を与えられた[16]。この領地は107の荘園から成り、そのうち48はバッキンガムシャーにあり[17]、その首都はバッキンガムシャーのロング・クレンドンにあった。没日は記録に残されていないが、1085年より前に息子のウォルターが跡を継いだ[18]

家族

ウォルターはジェラール・フレテルの娘エルメンガルドと結婚した[17][18]。ウォルターとエルメンガルドには以下の子女が生まれた。

  • ウォルター(1102年没) - 初代バッキンガム伯[18]
  • ウィリアム(1129年没) - ウィンチェスター司教[19][20]
  • ロエーズ(1113年以降没) - クレア領主リチャード・フィッツギルバートと結婚[18]

注釈

脚注

参考文献

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