ウクライナの国歌
2003年に定められたウクライナの国歌
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概要
1862年にパヴロ・チュビンスキー (Павло Платонович Чубинський) が作詞、1863年にミハイロ・ヴェルビツキー (Михайло Вербицький) が作曲した。初演は1865年3月10日[1]。しかしながら当時ウクライナの文化運動に対するロシア帝国の弾圧は強まっており(1863年にはウクライナ語の使用を制限するヴァルーエフ指令が出されている)、チュビンスキーは「民衆の精神に有害な影響を与えた」とされてアルハンゲリスクに追放された[2]。この曲が国家として採用されるまでは多くの時間を必要とした。ロシア帝国の支配、第一次世界大戦の混乱、ドイツの介入、ソ連による侵攻などの事情で1916年までは公式採用するまもなく慣例として歌い継がれていった[1]。
しかしウクライナ革命の過程で1917年に独立し、翌1918年に公式に独立を宣言したウクライナ人民共和国、及びそれと統一した西ウクライナ人民共和国の国歌に採用され[3]、ウクライナ・ソビエト戦争やウクライナ・ポーランド戦争によってソ連及びポーランドによって分割占領されるまで使用された。また1938年に自治権を手に入れ、翌1939年にチェコスロバキアから独立した国家・カルパト・ウクライナでもハンガリーによって占領されるまで国歌として採用された。
ソ連を構成するウクライナ・ソビエト社会主義共和国ではこの曲がもつ「分離主義的」ニュアンスが忌避され、別の曲が国歌として採用された(ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国歌を参照)[3]。
ソ連からの再独立後、1992年に議会によりウクライナの国歌として復活した。2003年3月6日には最高議会でウクライナ国歌法案が成立。歌詞を一部修正の上、正式に国歌に採用された[3]。
歌詞
2003年3月6日制定の現行の国歌歌詞(最後の2行は繰り返して歌う)
| ウクライナ語 | ラテン文字転写 | IPA転写 |
|---|---|---|
Ще не вмерла України і слава, і воля, |
Šče ne vmerla Ukraïny, i slava, i volia, |
[ʃt͡ʃɛ nɛ‿w.ˈmɛɾ.lʌ ʊ.kɾʌ.ˈji.nɪ ǀ i ˈslɑ.wʌ i ˈwɔ.ʎʌ ‖] |
和訳
ウクライナの栄光も自由も未だ滅びず、
若き兄弟たちよ、我らに運命はいまだ微笑むだろう。
我らが敵は日の前の露のごとく亡びるだろう。
兄弟たちよ、我らは我らの地を治めよう。
𝄆 我らは自由のために魂と身体を捧げ、
兄弟たちよ、我らがコサックの氏族であることを示そう。𝄇
原詞
| ウクライナ語 | ラテン文字転写 |
|---|---|
Ще не вмерла України, і слава, і воля! |
Šče ne vmerla Ukraïny, i slava, i volia |
2003年の改定前のもの
| ウクライナ語 | ラテン文字転写 | 和訳 |
|---|---|---|
Ще не вмерла України ні слава, ні воля. |
Šče ne vmerla Ukraïny, ni slava, ni volia, |
ウクライナは未だ滅びず,その栄光も,その自由さえも! |