ウスタシュ・ル・シュウール
From Wikipedia, the free encyclopedia
パリで木工工芸家の息子の生まれた。イタリアのバロック絵画をフランスに伝えたとされる、シモン・ヴーエ(1590-1649)の弟子になった。共に学んだ画家には、シャルル・ルブランやピエール・ミニャールがいる。ルブランらがイタリアで学んだのに対してル・シュウールは国外に出ることなく、パリに集められたルネサンスの画家たちの作品から学んだ。
初期の作品は、ヴーエのスタイルの影響を受けていたが自らのスタイルを確立した。1642年に、ゴブラン織の王立工場のために、イタリア・ルネサンスの物語、『ヒュプネロトマキア・ポリフィリ』に題材をとった8点の作品を描き、いくつかはタペストリーに織り上げられた。
1845年にシャルトリューズ・ド・パリ(Chartreuse de Paris、シャトリューズ修道院)の装飾画として宗教的な題材の作品を描き、王室に作品が買い上げられた。
1648年に設立された王立絵画彫刻アカデミーの主要幹部の一人となり、 シャルル・ルブランらとともに、最初の12人の教授の一人となった[1]。裕福な人々のために多くの装飾画を描いた。
弟子にはジャン・クレルモン(Jean Clermont)やクロード・ルフェーブル(Claude Lefèbvre:1632-1675)らがいる。