ピエール・ミニャール
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フランス北部、オーブ県のトロワで生まれた。父親も画家で、兄のニコラ・ミニャール(Nicolas Mignard:1606-1668)も画家、版画家となった。[1]1624年からブールジュの画家や、トロワの彫刻家に学んだ後、当時、宮廷美術の中心のひとつであったフォンテーヌブローで、フランチェスコ・プリマティッチオやロッソ・フィオレンティーノといった芸術家たちの作品を学んだ。イタリアからバロック絵画をフランスにもたらした、シモン・ヴーエの工房に入り、将来のライバルとなるシャルル・ルブランとともに学んだ。
1635年にローマに修行に出た[2] 。アゴスティーノ・カラッチやフランチェスコ・アルバーニ、ドメニキーノといった「ボローニャ派」の作品に強い影響を受けた。イタリアで宗教画を描き、評判になり、1657年にルイ14世の宮廷画家として、パリに呼び戻された。
イタリアからの帰路、作家のモリエールと知り合い、2人は親友になった。後にモリエールは「ヴァル・ド・グラース教会の天井画を称える詩」を発表し、ミニャールを称えた。
パリでは人気のある肖像画家となった。パリの教会Val-de-Grâceのドームの天井画や宮殿の装飾画も描いた。
1687年に貴族の称号を得た。1690年にルブランが没した後、主席宮廷画家(premier peintre)となった。1690年から没する1695年の間、王立絵画彫刻アカデミーの院長の職も務めた。
