ウトラキスト

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LutherとHusが共に「communion under both kinds」を掲げている。16世紀のザクセン選帝侯領の木版画で、ルーテル教会と穏健フス派の親密さを描いている。


ウトラキストはウトラキズム(英語:Utraquism)(ラテン語:sub utraque specie/Calixtinism)(チェコ語:kališníci)を支持するフス派の一派。 パンとワインの両方が聖餐で平信徒に振舞われるべきとしている[1]フス戦争初期にフス派が分解した際に、穏健派且つ最大派閥として誕生した。 ウトラキスト・カトリック連合軍の勝利後、約2世紀後に三十年戦争が勃発するまではボヘミア王国の多数派を占めた。 1620年白山の戦い神聖ローマ帝国に敗れた。

1419年1620年ボヘミア王冠領におけるフス派の支配領域。国境は現在のもの。

1414年プラハ・カレル大学のJacob of Miesが初めて提唱した[2]聖餐にはパンとワインの両方が必要と主張したが、当時のカトリックはワインだけで行っていた[2]

ウトラキストはフス派の他の派閥(ターボル派オレープ派アダム派)に比べて穏健で、プラハ党とも呼ばれた。 彼らは徐々に聖座と協力するようになり、1434年リパニの戦いでターボル派とシロッツィを滅ぼした。 戦後に復活したフス派は殆どがウトラキストで、ボヘミア王に即位したイジーが特に有名である。

関連項目

脚注

参考資料

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