ウマル・ムハイシ
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ムハイシはチェルケス人とトルコ人の血を引く家庭に生まれた[2]。ムハイシは、ムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)の幼馴染と言われ、後に1969年9月1日にリビアの王政を打倒した自由将校運動(RCC)と呼ばれる軍将校集団の一員となった[3][4]。ムハイシは、カダフィが率いるRCCの12人のメンバーの一人であった。1969年のリビア革命(英語版)後、少佐に昇進した。1969年10月にリビア人民裁判所(英語版)が設立されると、裁判所の検事総長の代理人を務めた[5]。ムハイシは1970年に財務大臣を務めた[6]。ムハイシは後に計画大臣に任命され、カダフィが汎アラブ主義と反植民地主義の運動を推進するためにリビアの資源を利用していることに異議を唱えた[7][8]。代わりに、ムハイシはリビアの石油収入を農業と工業、特に故郷ミスラタの鉄鋼などの重工業に投資するよう求めた[9]。
1975年8月、カダフィ政権はクーデターを未然に防いだと発表した。13人の首謀者全員が自由将校団のメンバーであり、そのうち4人(ムハイシ、バシール・ザギール・ハワーディ(英語版)、アブドゥル=ムニーム・アル=フーニ(英語版)、アウァド・ハムザ)はRCCのメンバーであった[10]。その時までに、ムハイシは既にチュニスに逃亡していた[8]。他の共謀者とされ人物のほとんどは1976年3月に処刑された[4]。その後アル=アハラーム紙のインタビューで、ムハイシはクーデターのことをを否定し、「カダフィの誤りを正そうとした」だけで、カダフィに辞任を求めたと述べた。同じインタビューで、ムハイシはカダフィを「危険な精神異常者」と呼んだ[9]。
エジプト駐在米国大使館から国務省に送られた外交電報によると、エジプトのアンワル・サダト大統領はムハイシのラジオ放送を利用してカダフィの信用を失墜させようとしており、カダフィ率いるRCC(カトリック中央委員会)の大半(アブデッサラーム・ジャッルードを除く)は1976年までに彼に背を向けていた。この状況を受けて、サダト政権はいくつかの選択肢を検討した。ムハイシを首班とするリビア亡命政府を樹立する、サウジアラビアの資金をリビア国内の反カダフィ派反体制派に資金提供する、あるいはリビア領土(エジプト=リビア国境付近)にムハイシ率いる政府を樹立し、ムハイシがエジプトに「介入」を要請し、逮捕または暗殺といった武力行使によってカダフィを排除する、といった選択肢である[11]。
1976年から1983年の間、ムハイシはエジプト、チュニジア、モロッコに居住していた。エジプト滞在中、カダフィ政権はムハイシの暗殺を複数回試みたと複数の情報筋が伝えている[12]。
ムハイシはカイロに留まったが、1979年にアンワル・サダト大統領がエルサレム訪問の意向を表明した。ムハイシはこれに激しく反対したため、1980年7月にエジプトからモロッコへ追放された[13]。
1983年、ムハイシがモロッコに滞在していた際、モロッコ当局はカダフィがポリサリオ戦線への資金援助を停止することを約束するのと引き換えに、ムハイシをカダフィに引き渡した[14][4]。アブドゥル・ラフマン・シャルガムによると、ムハイシは1984年1月にサイード・ラシッドによる拷問を受けて殺害された[15][16]。別の報告によると、ムハイシはトリポリに着陸するとすぐに空港の滑走路で踏み殺されたとされている[4][9]。
出典
- ↑ “ليبيا المستقبل .. Libya Almostakbal”. 2020年1月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月18日閲覧。
- ↑ Ahmida, Ali Abdullatif (2013), Forgotten Voices: Power and Agency in Colonial and Postcolonial Libya, Routledge, pp. 79–80, ISBN 978-1136784439
- ↑ Xinhua News
- 1 2 3 4 Anderson, Jack (1985年11月13日). “Fighter Against Qaddafi Betrayed”. The Washington Post. https://www.cia.gov/readingroom/docs/CIA-RDP90-00965R000100120018-2.pdf
- ↑ el-Magariaf, p.256
- ↑ “LIBYE: Remaniements ministériels et nouveaux gouvernements”. AAN - Annuaire de l'Afrique du Nord (2020年7月26日). 2020年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年4月22日閲覧。
- ↑ Smith, Philip (1983年3月5日). “Jury Acquits Wilson of Plot To Kill Libyan” (英語). Washington Post. ISSN 0190-8286. https://www.washingtonpost.com/archive/politics/1983/03/05/jury-acquits-wilson-of-plot-to-kill-libyan/1886fd8e-5519-4ef8-a299-f314de929778/ 2023年2月1日閲覧。
- 1 2 hradmin (2011年3月25日). “Libya Since 1969” (英語). The History Reader. 2023年2月1日閲覧。
- 1 2 3 Refugees, United Nations High Commissioner for. “Refworld | Libya: The role of Omar al-Meheshi in Colonel Qaddafi's revolution; his activities in the 1975 coup attempt and in developing opposition movements in Morocco and Egypt (1969 - present)” (英語). Refworld. 2023年2月2日閲覧。
- ↑ el-Magariaf, p.228
- ↑ “Foreign Relations of the United States, 1969–1976, Volume E–9, Part 1, Documents on North Africa, 1973–1976 - Office of the Historian”. history.state.gov. 2023年2月1日閲覧。
- ↑ el-Magariaf, p.858
- ↑ “ليبيا المستقبل .. Libya Almostakbal”. Libya Almostakbal. 2026年4月22日閲覧。
- ↑ Al Wasat magazine
- ↑ Alhayat Newspaper (Arabic Language)
- ↑ el-Magariaf, p.469