ウラジスラフ・ヘラスケビッチ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1999-01-12) 1999年1月12日(27歳)
キーウ
競技スケルトン
Владислав Гераскевич
ウラジスラフ・ヘラスケビッチ
2021年のヘラスケビッチ
個人情報
生誕 (1999-01-12) 1999年1月12日(27歳)
キーウ
スポーツ
 ウクライナ
競技スケルトン

ウラジスラフ・ミハイロヴィチ・ヘラスケビッチウクライナ語: Владислав Михайлович Гераскевич, 1999年1月12日 - )は、2014年から競技しているウクライナスケルトン選手。ウクライナのスケルトン選手として、はじめて冬季オリンピックの出場資格を受けた。

2026年オリンピックのヘルメットによる失格

ヘラスケビッチは、彼の父親であるミハイロ・ヘラスケビッチのもとで練習している。元々はボクシングをしていた彼がスケルトンの競技に取り組みだしたのは2014年の事である。

2016年2月にノルウェーリレハンメルで開かれたユースオリンピックに出場した彼は8位の成績をおさめた[1]。その前の月、ドイツヴィンターベルクで開かれたジュニアの世界選手権での彼の結果は17位だった。その次の年、ラトビアスィグルダでのジュニア選手権で彼は10位の成績を達成した。

2017年2月24日、彼は、スケルトンの競技におけるはじめてのウクライナ代表として、FIBT世界選手権に出場した[2]。ドイツのケーニヒス湖で開かれた、2017年の世界選手権における彼の成績は24位だった。

2017年11月10日、彼は、アメリカレークプラシッドで開かれたスケルトン・ワールドカップ英語版にはじめて出場し、27位の結果だった。このシーズンの間の8つの競技のうちの7つに出場した彼は、世界ランク24位に位置づけられた。

2018年1月15日、ウクライナは、同国としてはじめて男子スケルトン競技の出場枠を占めた事を発表した[3]2018年平昌オリンピックにおいて、彼は総合12位、最終走において7位の成績となり、ウクライナ本国はこの成績を大きな成功であると評した[4][5]。そのような成功の後、ウクライナの公共テレビ局のPershyiは、ウクライナのテレビ放送においてはじめてスケルトン・ワールドカップの放映をはじめた[6]

次のスケルトン・ワールドカップでは、ヘラスケビッチは、ラトビアのスィグルダで9位と好調な結果ではじまったものの、ヨーロッパのチャンピオンシップでは成功せず、2度目の滑走に彼の席を占める事ができなかった。2019年のFIBT世界選手権において、彼は14位の成績で終わりを迎えた。

ヘラスケビッチは、オリンピック前の2021年から22年のシーズンで、相対的に着実な結果を見せ、2度にわたって上位10位以上に入り、彼は参加したすべての競争において2度目の滑走の席を占めた。2022年12月31日、ヘラスケビッチはラトビアのスィグルダで6位となり、ワールドカップにおける彼の最高の記録を記録した。

2022年、ヘラスケビッチは、彼にとって2度目となる冬季オリンピック出場を北京で果たした[7]。オリンピックにおいて、彼はロシア・ウクライナ危機に関連して「ウクライナは戦争を求めない」と書かれたプラカードを掲げたが、それは政治的な表現や示威を禁止しているオリンピック憲章50条の規則に反している可能性があった[8]国際オリンピック委員会(IOC)は、ヘラスケビッチの行為について「平和への普遍的な呼びかけ」であるとして、責任を問わない事を表明した[9]。彼は18位で、競技を終えた。

オリンピックが終わってから4日後にはじまったロシアのウクライナ侵攻において、ヘラスケビッチはウクライナの人々への食料や物資の配送を助けた[10]

ヘラスケビッチは、2026年ミラノ・コルティナオリンピック開会式においてウクライナ選手団の旗手を務めたふたりの内のひとりである[11]

ヘラスケビッチの2026年のためのヘルメット

2026年の大会に向けた練習の間、ヘラスケビッチはロシアの侵攻によって殺害されたウクライナのアスリート24名の肖像が描かれた「追悼のヘルメットウクライナ語版」を装着していた[12][13][14]。ヘルメットに描かれた人物には、ウクライナ軍の成員で作戦中に殺害された英語版射撃選手のオレクシー・ハバロフ、ホッケー選手のオレクシー・ロギノフ、空襲によって死亡した民間人である重量挙げ選手のアリーナ・ペレフトヴァウクライナ語版、ダンサーのダリア・クルデルウクライナ語版といった人物が含まれていた[13]。また、フィギュアスケーターで、2016年の冬季ユースオリンピックにおいてヘラスケビッチのチームメイトだったドミトロ・シャルパル英語版も描かれている[15]。そのヘルメットはウクライナのアーティストであるイリーナ・プロッツによってデザインされた物である[16]

IOCはオリンピック憲章の第50条の規定を理由に、彼の競技中のヘルメットの装着を禁じ、その代わりとして黒の腕章英語版の着用を提案した。IOCのスポークスマンのマーク・アダムズは、委員会による「会場における選手の出来栄えとスポーツそのものに専念させたい」として、大会を「すべての雑音」から引き離す意向について述べた[15]。ヘラスケビッチが決定に異議を申し立てた理由は、彼が適当な代替品を見つける時間がない上に、追悼のヘルメットを政治的とは見なさなかった事による[12]。彼は委員会による変更の求めを無視する形で、練習においてヘルメットの着用を継続した[14]。また、ウクライナオリンピック委員会英語版もIOCに対して抗議文を送付した[15]

手詰まりの状況が続いた結果、ヘラスケビッチは、黒の腕章の着用よりも、彼に対する失格の処分を受け止める事を宣言した。理由として「メダルは人々の生活と比較すれば取るに足りない物であり、私はこれらのアスリートたちの記憶と比べても然りと信じます」と述べた[17]。競技当日である2月12日までに問題が解決する事はなく、国際ボブスレー・スケルトン連盟の審判団は彼を大会において失格とする決定を下した[18]

彼の失格の後、ヘラスケビッチは「その他の選手たちは同じ状況でも競技に加わる事が可能で、かつ彼らは何の処分にも直面しませんでした」と述べた[18]。アメリカのフィギュアスケート選手であるマキシム・ナウモフは、その週の前半の競技終了後、アメリカン航空5342便空中衝突事故で没した両親の遺影を掲げていた[18][19]。アダムズは、以前からそのような対比をしていたが、ナウモフのジェスチャーは、彼の場合、競技の途中ではなく終了した後だったという相違点をあげた上で、「IOCにとって、そしてアスリートたちにとって競技場は侵してはならない場です」と述べた[17]

ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、IOCの決定について、オリンピック運動の仲間であるアスリートたちへの背信行為であると非難した上で、「真実を不都合、不適切、あるいは政治的行為呼ばわりする事はできません」と述べた[14][19]。その後、ゼレンスキーはヘラスケビッチに自由勲章英語版を授与した[20]。「追悼は反則でない」という言葉は、ヘラスケビッチとの連帯を表現する標語となり、リュージュ選手のオレナ・スマハ英語版自分の競技の前、手袋にこの標語を書き込み、ウクライナの軍人たちはこの標語が書かれたプラカードを掲げる写真を投稿した[21][22]。スキー選手のドミトロ・シェピューク英語版カテリーナ・コツァル英語版は、それぞれの競技が終わった後、手袋を掲げて、「ウクライナの英雄たちは私たちと共にある」そして「追悼の自由」という標語を示した。コツァルは彼女のヘルメットに書かれたウクライナに対する連帯を示す標語を除去するよう命じられていた[21][23]。ウクライナのリュージュチームは、チームリレーの競技が終わった後、ひざまづいて彼らのヘルメットを掲げた[24]

ヘラスケビッチは、決定についてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に訴えたが[25]、案件は棄却された[26]。CASは声明の中で、調停者はIOCの「アスリートの表現についてのガイドライン」にもとづく制約について、「選手が認識を求める機会が他にもある事を考慮するなら、理にかなうふさわしい物である」と判断した事で、彼らに決定を覆す事は不可能であると述べた[27]。ヘラスケビッチの弁護士は決定に失望を表明し、CASは、「実際の違反行為や、技術、安全の上での脅威もなく、そして競技がはじまってもいない状況にもかかわらず、オリンピックで選手を失格にするという決定を擁護した」と述べた[26]

私生活

ヘラスケビッチは、タラス・シェフチェンコ名称キーウ国立大学の物理学部を卒業した[28]

ゼレンスキー大統領から自由勲章を授与されるヘラスケビッチ

競技実績

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI