ウラジーミル・ギリャロフスキー
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ヴォログダ県のオルスフィエフ伯爵の領地に生まれる。父は領地の森林監督助手、母は森林監督の娘。肉体労働を経験したのち陸軍歩兵部隊に入隊、幼年学校へ送られるが規律違反により放校。舟曳きや荷役人夫、サーカス団員などさまざまな仕事を経験しつつ放浪生活を送る。
モスクワの劇場で俳優兼演出助手として働いたことがきっかけでジャーナリズムの道に入る。工場人夫の記録『死すべき人々』の草稿をグレープ・ウスペンスキーに高く評価され、その記事は月刊誌『ロシア報知』で署名記事となる。それ以降、『ロシア報知』、『ロシアの声』など各紙で活動。作家のアントン・チェーホフやワレリー・ブリューソフと交流する。ニコライ2世戴冠式記念祝典での事故、セルビアのミラン公暗殺未遂事件、ゴーゴリ没後50周年記事、チェーホフ追悼記事などを発表する。