ウード1世 (トロワ伯)
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ウードの出自ははっきりしていない。人名学によると、オルレアン伯ウードの近親者とされる。近年の研究では、ヴォルムスガウ伯ロベール3世とオルレアン伯ウードの姉妹ワルトラーダの息子とされている。この説が正しいとすれば、ウードはロベール豪胆公の兄弟となる。
一族に従い、ウードは西フランク王シャルル2世の忠実な支持者であった。兄弟のロベール豪胆公と同様にアウストラシアに多くの領地を有していたが、ヴェルダン条約(843年)後、シャルル2世のもとに復帰するためそれらを放棄した。846年にシャトーダン伯領を与えられ、アンジュー伯に叙せられ、ヴァンディルモディスと結婚した。
852年、トロワ伯アレランの死後にトロワ伯位を与えられ、兄弟のロベールがアンジュー伯位を継いだ。853年、ウードはサンス司教ウェニロンと共にセルヴェの勅令集に国王巡察使として参加した。858年、シャルル2世は息子のルイ2世をメーヌ公(ducatus Cenomannicus)に任命したが、ロベール豪胆公はそこでの影響力を失ったことに憤慨し、反乱を起こして東フランク王ルートヴィヒ2世の助けを求めた。ウードもすぐにロベール豪胆公に加わった。その後、兄弟はそれぞれの伯領から追放され、トロワは没収され、ポンティユー伯ルドルフ(皇后ユーディトの兄弟、シャルル2世の叔父)に託された。
ウードはルドルフの死後(866年)、トロワを奪還したとみられる(奪還できなかった可能性もある)。いずれにせよ、ロベール豪胆公は861年に降伏し、ネウストリア辺境伯位を与えられた。