ロベール家
西フランク王国およびフランスの王家
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歴史
現在のベルギー中東部のハスペンゴウ(エスベイ、Hesbaye)に発する豪族で、領主や聖職者を勤めた記録が、7世紀から残る。8世紀後半にはドイツのヴォルムスに拠点を構えたという[1]。
歴史の表舞台に顔を出すのは、ロベール豪胆公である。仕えるフランク王国がヴェルダン条約で三つに割れ、彼は西フランク王国へ移ってシャルル2世から、852年にトゥールのマルムーティエ修道院(Abbaye de Marmoutier)長を、853年にロワール川河口域の巡察使を命じられた。セーヌ川やロワール川の川口から繰り返し侵入するノルマン人に悩んでいた時期で、豪胆公は奮闘を続けた後、866年に戦死した[2]。
長男のウードは、885年 - 886年にパリを包囲したノルマン人を撃退して888年西フランクの王に推され[3]、898年に没した[4]。この頃から王位は、カロリング家の世襲でなく、有力諸侯や聖職者の選挙で決めるようになっていた[5]。
ウードの死後、王位はカロリング家のシャルル3世に戻ったが、ウードの弟のロベール1世は、反乱を主導してシャルルを逐い、922年王位に推された。ロベール1世が翌923年、廃位に応じぬシャルルとの戦いに死ぬと、娘エマの夫ラウールが王になり、936年に没した[6][7]。
エマの弟のユーグ大公は、ロワール川とセーヌ川に挟まれる地域のほとんどを持つ大領主となり、936年にフランス公の位を得た[8]。936年、カロリング家のルイ4世のイングランドからの帰国は歓迎したが、帰国後のルイ4世とは、954年にルイ4世が没するまで争い続けた。ルイ4世の後を彼の子のロテールが継ぐのには賛成し、若い王を棚に上げて西フランク王国の実権を握り、自分の息子ユーグ・カペーがカペー朝を開く道を開いた。
また、ドイツ貴族のバーベンベルク家(ポッポ家)もロベール家の支流であるといわれる。
系譜
| ランベール2世 エスベイ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ヴィリスヴィンダ ・フォン・ヴォルムス | ロベール1世 (?-764) エスベイ伯(732-764) | ランドラード | シグラム エスベイ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| カンコル (?-782) ロルシュ修道院の創建者 | テュランベール (c.735-770) ヴォルムスガウ伯 | ゲロルト家 | クロデガング (c.712-766) メッツ大司教 ロルシュ修道院長 | シグラム | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ハイムリヒ (740-795) ラーンガウ伯 | ロベール2世 エスベイ伯 | アドリアン オルレアン伯 | ヒルデガルト | カール大帝 | イングラム エスベイ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ハインリヒ (765-812) ザールガウ伯 | ロベール3世 ヴォルムスガウ伯 | ワルトラーダ | ウード オルレアン伯 | ユーディト | ルートヴィヒ1世 フランク王 | エルマンガルド | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ポッポ グラープフェルト伯 | グントラム (815-837) ヴォルムスガウ伯 | ロベール豪胆公 ヴォルムスガウ伯 アンジュー伯 | オーダ | ヴェルナー4世 ヴォルムスガウ伯 | エルマントルド | シャルル2世 西フランク王 | カロリング家 東フランク王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| バーベンベルク家 | ウード 西フランク王 | ロベール1世 西フランク王 | ザーリアー朝 | カロリング家 西フランク王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ラウール 西フランク王 | エマ | ユーグ大公 パリ伯 フランス公 | エドヴィジュ | オットー1世 神聖ローマ皇帝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ユーグ・カペー フランス王 | ザクセン朝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| カペー家 フランス王 | 神聖ローマ皇帝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||