サヴォイ・ホテル正面エントランス
コールマンは、サヴォイ・グループが運営していたゴルフクラブで働く父親の下、1875年に生まれ、父親から「手に職を持つように」と教えらえて育つ[3]。
1898年にサヴォイ・グループのあるホテルのフラワー・ショップで働き始める[4]。1900年頃には同じくサヴォイ系列のクラリッジ・ホテル(英語版)(ロンドン・メイフェア)のバーで勤務を始め、酒類やカクテルの知識をはじめとしたバーテンディングの基礎を学ぶ[3][4]。20世紀初頭のロンドンでは、ホテルバーで働く人間の半分弱は女性であり、「バーテンダー」ではなく「バーメイド」と呼ばれてた[4]。商人や工場労働者階級の若い子女にとっては、バーメイドの仕事は長時間労働にも関わらず「他の仕事と比べると、仕事の内容も単調でなく、収入も良い」職業であった[4]。一方で、女性の職業としては「バーの仕事は肉体的、道徳的によくない」という考えもあり、女性を排除する動きもあった[4]。しかし、当時のサヴォイ・ホテルグループのオーナー・ルパート・ドイリー・カート(英語版)は1903年にサヴォイ・ホテルの「アメリカン・バー」のチーフ・バーテンダーにいきなりコールマンを抜擢した[4]。
マーク・トウェイン、マレーネ・ディートリヒ、チャーリー・チャップリンといったセレブな顧客たちから厚い信頼を得たコールマンは、「コリー」という愛称で呼ばれるようになる[3][4]。
1925年にサヴォイ・ホテルはコールマンとバージェス両名のアメリカン・バーからの引退を突然発表する[4]。この引退は、コールマンやバージェス本人からの申し出ではなく、顧客からのクレームが遠因となっている[4]。1920年にアメリカ合衆国で施行された禁酒法により、サヴォイ・ホテルにもアルコールを求まるアメリカ人客が増えていたが、アメリカ人は女性の社会進出に保守的であり、「バーは女性が働くにはふさわしくない」と女性であるコールマンとバージェスの作るカクテルや存在そのものを敬遠するようになり、そうしたクレームに屈する形でホテル・オーナーがコールマンとバージェスを排除してしまった[4]。コールマンの後任には1921年からアメリカン・バーで働いていたハリー・クラドックがチーフ・バーテンダーに就任することになる[4]。
クラドックのコールマンに対する評価や思いは記録に残っていないが、後年クラドックが編纂したカクテルブック『サヴォイ・カクテルブック』には「ハンキー・パンキー」が収録されている[4]。
アメリカン・バーを去った後のコールマンについては、詳しくは伝わっていない[4]。サヴォイ・ホテルのフラワー・ショップで再び働いていたという話もあるが、これを否定する説もある[4]。晩年は別のホテルのクローク・スタッフとして働いていたが、1966年に死亡した[4]。