エットーレ・バスティコ
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ボローニャに生まれる。軍歴の最初は、第3ベルサリエリ連隊へ士官候補生としての配属。第一次世界大戦中は様々な師団司令部で参謀将校を務めていた。1927年に准将に昇進し、1932年に師団司令官に就任。独裁者ベニート・ムッソリーニに黒シャツ隊師団の編成を命じられた。1935年、第二次エチオピア戦争に従軍し、軍団司令官となる。
第二次世界大戦中の1940年、ドデカネス諸島(イタリア領エーゲ海諸島)総督に任命される。翌1941年にリビア総督・軍総司令官となった。ドイツアフリカ軍団は公式にはバスティコの隷下にあったが、バスティコは度々その司令官ロンメルと対立し、「爆弾(伊:bomba)」にちなんだ「ボンバスティコ」というあだ名を付けられた。1942年にロンメルが元帥に列せられると、バランスを取るためにムッソリーニは8月12日にバスティコを元帥に列した。エル・アラメインの戦いに敗れ、アフリカ失陥が目前となった1943年2月にリビア総督を解任された。その後は終戦まで軍務に就くことはなかった。
戦後は軍事史家・作家として活動し、1957年にはイタリア共和国功労勲章(伊:Ordine al merito della Repubblica Italiana)を授与されている。
1972年に96歳の長寿でローマにおいて死去。イタリア王国陸軍元帥最後の生き残りであった。