エディット・クレッソン
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| エディット・クレッソン Édith Cresson | |
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| 生年月日 | 1934年1月27日(91歳) |
| 出生地 |
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| 出身校 | 旧パリ女子高等商業研究院(HEC JF) |
| 所属政党 | 社会党(PS) |
| 称号 | 人口学博士 |
| 配偶者 | ジャック・クレッソン |
| 子女 | 2人 |
| 在任期間 | 1991年5月15日 - 1992年4月2日 |
| 大統領 | フランソワ・ミッテラン |
その他の職歴 | |
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第12代農業大臣 (1981年5月22日 - 1983年3月22日) | |
エディット・クレッソン(フランス語:Édith Cresson、1934年1月27日 - )は、フランスの政治家。第12代フランス首相を歴任した。姓(Cresson)の読み方はフランス語ではクレソンが近いが(野菜のクレソンと同じ)日本語メディアでは「クレッソン」と紹介されている。日本では後述の対日批判発言で知られる。
1934年1月27日にパリ近郊のブローニュ=ビヤンクールに誕生する。旧パリ女子高等商業研究院(HEC JF)を修了した。
1975年に社会党に入党し、1981年にヴィエンヌ県議員、1983年にシャテルロー市長。国政では、フランソワ・ミッテラン政権下で1981年に農相として入閣し、1983年に通商観光相、1984年に産業開発・通商相、1988年から1990年まで欧州問題相を歴任した(フランスでは地方と国政の役職を兼務できる)。
1991年5月にロカール首相の後任の首相に就任(フランス史上初の女性首相)。首相在任中、内政では農産物問題で農民デモが頻発し、外交では「日本人は黄色いアリ」「世界を征服しようとしている」と発言して日本政府からの公式抗議を受けた(後述)。1992年4月、地方選挙で社会党が敗北した責任を取って辞任した。
1994年にEUの欧州委員会で科学・研究開発担当委員に就任したが、かつて市長を務めたシャテルローの住民である歯科医の便宜を図って架空の書類を偽造した不正を糾弾され、1999年に辞任した。2004年7月19日、欧州委員会はこの事件でクレッソンを欧州司法裁判所に提訴した。
既婚で娘が2人いる。