エデコ From Wikipedia, the free encyclopedia エデコ(Edeko, 生年不詳 - 469年)は、5世紀の軍人。初めフン族の王アッティラに仕え、後には東ローマ帝国に属した。オドアケルとオノウルフスの父とされる。アッティラの重臣だったエデコの記録と東ローマ帝国に仕えたエデコの記録は同名の別人の記録とする説もある。 その部族的出自は不明で、しばしばヘルール族ともゴート人ともテューリンゲン族(英語版)ともスキリア族ともされるが、実際にはエデコがゲルマン人であったのかどうかすら分かっていない。 テオドシウス2世がフン族の長アッティラへ派遣した外交官マクシミヌス(英語版)に同行したプリスクス(英語版)によれば、エデコはゲピド族の王アルダリック(英語版)と並ぶアッティラの重臣であったという。詳細は不明であるが、445年のアッティラの兄ブレダの死に関連してアッティラの地位を高めるような功績があったという。 449年、エデコはアッティラからテオドシウス2世への使者としてオレステスとともにコンスタンティノープルを訪れた[1]。エデコはテオドシウス2世の宦官クリサフィウス(英語版)から高額の報酬を餌にアッティラの暗殺を依頼されたが、エデコは計画に賛同したふりをして暗殺の計画をアッティラに報告した[1]。451年にはアッティラに従ってカタラウヌムの戦いに参加している。 453年にアッティラが没すると、エデコはゲピド族の王アルダリックとともにフン族の連合体から独立し、454年にはネダオ河畔の戦い(英語版)でフン族を打ち破った。以後はスキリア族の軍隊を率いて東ローマ帝国に所属し、特にレオ1世の治世には皇帝より重用され、パンノニアで自身の王国を築いた。 469年、東ローマ皇帝レオ1世の示唆を受けてゴート人の将軍ウァラメールらを排除しようとしたが、ボリア川の戦い(英語版)でウァラメールら率いるゴート人の集団に敗れて死亡した。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 ギボン1954、pp.188-189。 参考文献 エドワード・ギボン 著、村山勇三 訳『ローマ帝国衰亡史 5』岩波書店、1954年。ISBN 4003340957。 Related Articles