5世紀
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国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)(現・地図・空中写真閲覧サービス)の空中写真を基に作成
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)。埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。 | ||













400年代
- 日本では倭国の古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方とヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国は朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王が東晋から南朝にかけての江南の王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史の記述に残されており、倭の五王として知られている。
- 北海道北部や東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。
- オーストロネシア語族のマレー系民族がアフリカ東部のマダガスカル島に定着する。
→詳細は「400年代」を参照
- 400年代初頭 - 大王クラスの大形前方後円墳が奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。
- 401年 - クチャの仏僧である鳩摩羅什が後秦の姚興に迎えられ長安に来訪。
- 402年
- 403年 - 桓玄が東晋の安帝から帝位を簒奪( - 404年)。
- 404年
- 倭軍がもとの帯方郡の地域に出兵し、高句麗軍に撃退される(広開土王碑)。
- コンスタンティノポリス大主教ヨハネス・クリュソストモスが追放される。
- この追放に伴う混乱で、皇帝コンスタンティウス2世に奉献された初代のハギア・ソフィア大聖堂は焼失する。
- 修道士テレマクスの死亡事故により西ローマ皇帝ホノリウスが剣闘士観戦を禁止し競技場を閉鎖。
- 405年
- 405年頃 - ヒエロニムスがラテン語訳聖書「ウルガータ」を完成させる。
- 406年 - ヴァンダル・スエビ・アラン人などの集団がライン川を渡りガリアに侵入(406年のゲルマン諸族のライン川渡河)。
- 408年 - 西ローマ帝国軍最高司令官スティリコが処刑される。
- 409年 - 北魏の道武帝が息子拓跋紹に殺害される。
410年代
→詳細は「410年代」を参照
- 410年
- 西ゴート人のアラリック1世がローマ市を占領し掠奪。西ローマ帝国の衰亡が決定的になる。
- ローマ軍が属州ブリタンニアから撤退し、西ローマ帝国のブリタンニア支配が終わる。
- 411年
- 413年
- 414年
- 西ローマ皇女ガッラ・プラキディアと西ゴート王アタウルフがナルボンヌで結婚。西ゴート人がイベリア半島に侵入。
- 高句麗の長寿王が広開土王(好太王)碑を建てる。
- 415年
- 416年 - 『日本書紀』では允恭天皇5年のこの年に地震が起きたと記録されている(允恭地震、日本最古の地震の記録)。
- 417年 - 東晋の劉裕が後秦を滅ぼし、一時的に洛陽・長安を奪還する。
- 418年
420年代
→詳細は「420年代」を参照
- 420年 - 東晋に代わり宋を建国した劉裕が皇帝(武帝)となる。
- 421年
- 423年
- 425年
- (宋・元嘉2年)- 倭王の讃、司馬の曹達を遣わし、宋の文帝に貢物を献ずる(『宋書』倭国伝)。
- エフタルがバクトリア地方に侵入し、サーサーン朝と激突。
- 東ローマ皇帝テオドシウス2世によりコンスタンティノポリス大学(パンディダクテリオン)が創建される。
- 東ローマ皇帝テオドシウス2世の命により騎兵長官アスパルが西ローマ皇帝ヨハンネスを殺害。
- テオドシウス2世の甥ウァレンティニアヌス3世が西ローマ皇帝となる。
- 426年
- 427年
- 428年 - サーサーン朝支配下のアルメニア王国で王政が廃絶される。
- 429年 - ガイセリック率いるゲルマン系ヴァンダル族がジブラルタル海峡を越えて北アフリカに移動。
430年代
→詳細は「430年代」を参照
- 430年
- 430年頃
- 日本各地に巨大古墳出現する。馬具や甲冑、刀などの武器が副葬されるようになる。
- ベツレヘムで発見された最古のジョージア語碑文である「ビール・エル・クット碑文」はこの時期のもの。
- 431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
- 432年
- 433年 - 東晋の詩人謝霊運が刑死する。
- 434年
- アッティラがフン族の王となる。
- ローマ教皇シクストゥス3世によりローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が奉献される。
- 435年 - 西ローマ帝国が北アフリカの領土をヴァンダル人に譲り、ヴァンダル王国が成立する。
- 437年 - 西ローマ帝国将軍アエティウスがフン族を派遣し第一ブルグント王国を滅ぼす。
- 438年
- 439年
440年代
→詳細は「440年代」を参照
- 440-450年 - 千葉県市原市の養老川下流域の北岸台地上の稲荷台1号墳で出土した「王賜銘」鉄剣が房総の王に授けられる。
- 442年 - 沮渠氏により高昌国が成立。
- 443年
- (宋・元嘉20年)- 倭国王の済、宋に朝貢して、安東将軍倭国王とされる。
- スイス・フランス東南部に第二ブルグント王国が成立。
- 445年 - 北魏が鄯善国(楼蘭)を滅ぼす。
- 446年 - 北魏の太武帝が廃仏の詔を出す。
- 449年 - エフェソス強盗会議が開かれる。
450年代
→詳細は「450年代」を参照
- 450年
- 450年頃 - アングロ・サクソン族がブリテン島に移住。
- 451年
- 452年
- 453年 - アッティラが急逝。フン族の後継者争いが起こり、息子のエラクが勝利する。
- 454年 - ネダオ川の戦いで、フン族の王エラクがゲピド族長アルダリックに敗北し、フン族の国家は崩壊する。
- 455年
- ヴァレンティニアヌス3世の暗殺による西ローマ帝国でのテオドシウス朝の断絶。
- ヴァンダル王ガイセリックがローマを占領し、ローマを略奪。
- 456年 ティカルの「嵐の空」王(シヤフ・チャン・カウィール2世)が亡くなる(神殿3,48号墓)。
- 457年 - 日本で雄略天皇が即位する。
460年代
→詳細は「460年代」を参照
- 460年 - 北魏で雲崗石窟の工事始まる。
- 462年 - 武寧王陵墓誌から百済武寧王はこの年に生まれたことが確認できる。
- これは『日本書紀』の雄略5年に武寧王が生まれたという記事と対応する。
- 463年
- 吉備氏の乱が起こる。
- コンスタンティノポリスにストゥディオス修道院が設立される。
- 466年 - 北魏の平城(大同)で曹天度九層千仏石塔が作られる(台湾国立歴史博物館蔵)。
- 468年 - バシリスクス司令官率いる東西ローマ帝国連合軍が北アフリカのボン岬の戦いでヴァンダル王国に大敗。
470年代
→詳細は「470年代」を参照
- 470年
- 471年
- 475年
- 476年
- 西ローマ帝国の滅亡。
- ゲルマン人傭兵隊長オドアケルにより皇帝ロムルス・アウグストゥルスが廃位される。
- 帝位は東ローマ皇帝ゼノンに返上され、オドアケルはパトリキウスとしてイタリアを支配する。
- 西ローマ帝国の滅亡。
- 477年 - 倭国が宋に朝貢する(『宋書』順帝紀)。これより先、興没し、弟の武立つ。
- 478年 - 倭王武が宋に入貢して上表する。「父祖の功績と父兄の志を述べ、高句麗の無道を糾弾し、自ら開府儀同三司と称し、正式の任命を求める。宋の順帝武を「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」とする(『宋書』順帝紀、『宋書』倭国伝)。
- 479年
480年代
→詳細は「480年代」を参照
- 480年 - ダルマティアの支配者で西ローマ皇帝でもあったユリウス・ネポスがスパラトゥムで暗殺される。
- 481年
- 482年 - 東ローマ皇帝ゼノンが「ヘノティコン(統一令)」を発布。
- 484年
- 485年 - 北魏の馮太后の摂政のもと孝文帝が均田制を実施する。翌年には三長制を実施。
- 486年 - ソワソンの戦いで、クロヴィス1世がガリア北部を支配していた西ローマ系軍閥シアグリウスを破る。
- 487年 - 高車が柔然の支配から脱してジュンガリアに建国。
- 488年 - 東ローマ皇帝ゼノンがエデッサの学院閉鎖を命じ、教師と学生はニシビスへと移動する。
- 489年 - イゾンツォの戦いとヴェローナの戦い。
- 東ゴート族長テオドリックがオドアケルに勝利しイタリア各地に進出。
490年代
→詳細は「490年代」を参照
- 490年 - ラヴェンナ包囲戦( - 493年)。
- 491年 - 北魏で山西省大同にある懸空寺が創建される。
- 493年 - 東ゴート人の族長テオドリックがオドアケルを暗殺し東ゴート王国を建国。
- 都はラヴェンナで、この時期にサンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂やアリウス派洗礼堂を建立する。
- テオドリック王はフランク王クロヴィス1世の娘オードフレダを王妃とし、娘二人を西ゴート王やブルグントに嫁がせる。
- 494年 - 北魏の孝文帝が平城(大同)から洛陽に遷都。
- 496年
- 498年
- 499年
500年代
→詳細は「500年代」を参照
- 500年前後 - ベイドン山の戦いでブリトン人がアングロ・サクソン人を打ち破ったか。この事件がアーサー王伝説の起源となったか。
- 500年 - 倭軍が新羅の長嶺鎮を攻め陥落させる。新羅の炤知王が死去し、智証王が即位。
- 500年頃
- 5世紀後半から6世紀前半
- 朝鮮半島南部の前方後円形墳(長鼓墳)が作られる。
- 5世紀末から7世紀