エドワード・アビー
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エドワード・アビー | |
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| 生誕 |
1927年1月29日(99歳) |
| 死没 |
1989年3月14日(62歳没) |
| 国籍 |
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| 職業 | 小説家・随筆家・環境活動家 |
| 子供 | 5人 |
| 受賞 | グッゲンハイム・フェローシップ |
エドワード・ポール・アビー(w:Edward Paul Abbey、1927年1月29日 - 1989年3月14日)は、アメリカ合衆国の小説家・随筆家・環境活動家である。
アメリカ南西部の荒野、特に砂漠地帯への深い愛着と、アナキズム的な政治思想を融合させた作風で知られ、20世紀後半のアメリカネイチャーライティングを代表する作家のひとりとみなされている。
代表作は随筆集『砂漠の孤独』(Desert Solitaire、1968年)と小説『モンキーレンチ・ギャング』(The Monkey Wrench Gang、1975年)であり、いずれも環境運動の古典的テキストとして広く読まれている。モンキーレンチ・ギャングは過激な環境保護団体アース・ファースト!の結成に影響を与えたことで知られる。
幼少期と青年期
1927年1月29日、ペンシルベニア州インディアナに生まれた。父ポール・リビア・アビーはアナキスト・無神論者・社会主義者であり、その思想はエドワードの世界観に大きな影響を与えた。母ミルドレッド・ポストルウェイトは小学校教師と教会オルガニスト兼務であり、エドワードに古典音楽と文学への愛好を育んだ。5人きょうだいの長男として大恐慌の時代に育ち、ペンシルベニア州やニュージャージー州で幼少期を過ごした[1]。
17歳のとき、徴兵登録の年齢に達する8ヶ月前、アビーは単身でアメリカ南西部を旅し、バスや貨物列車、ヒッチハイクで各地を巡った。この旅が彼に砂漠の風景への生涯にわたる愛着をもたらした。1945年に帰還して軍に徴兵されると、2年間イタリアで軍属警察官として勤務した。権威に反抗する性格から昇進と降格をそれぞれ2度経験し、一兵卒として名誉除隊した。軍での経験は大規模組織への不信感を深め、アナキスト的信条をさらに強固なものにした[2]。
学業と公園レンジャー時代
帰国後、G.I.法(復員兵援護法)を利用してニューメキシコ大学に進学し、1951年に哲学・英文学の学士号を、1956年に哲学の修士号を取得した。修士論文のテーマは「アナキズムと暴力の道徳」であった。在学中はタオスでのニュースペーパー・レポーターやバーテンダーなど多様なアルバイトをこなしながら生計を立てた[3]。
1957年にはスタンフォード大学のウォレス・スティーグナー創作奨学金を受けた。また1950年代から60年代にかけて、国立公園局の季節雇用レンジャーや火の見台監視員として南西部各地に勤務した。なかでもユタ州モアブ近郊のアーチーズ国立公園でのレンジャー経験(1956〜57年)は、後の代表作『砂漠の孤独』の着想源となった。この経験を通じ、古代インディアン文明の痕跡と消費社会の侵食とを同時に目撃したことが、彼の文学と環境思想の核心を形成した[4]。
作家活動と晩年
1954年に最初の小説『ジョナサン・トロイ』(Jonathan Troy)を発表し、本格的な作家活動を開始した。1958年の小説『勇敢なカウボーイ』(The Brave Cowboy)は後に映画化された。1968年に出版した随筆集『砂漠の孤独』は批評家から高い評価を受け、環境運動に強い影響を与えた。ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューでピューリッツァー賞作家エドウィン・ウェイ・ティールは同書を「荒野に叫ぶ声、荒野のために叫ぶ声」と評した[5]。
1975年の小説『モンキーレンチ・ギャング』は主流メディアへの宣伝もほとんどないまま50万部を超えるアンダーグラウンド・クラシックとなり、過激な環境保護グループ「アース・ファースト!」の結成(1980年)の直接のきっかけとなった。生涯で20冊以上の著作を残し、1975年にはグッゲンハイム・フェローシップを受賞した[6]。
5度の結婚を経験し、5人の子供をもうけた。晩年はアリゾナ州トゥーソンを拠点にしながらも、南西部各地の砂漠を旅し続けた。1989年3月14日、食道出血の合併症により62歳で死去した。遺言どおり棺や防腐処理なしで青い寝袋に包まれ、友人たちの手によりアリゾナ州カベサ・プリエタ砂漠地帯の非公開の場所に埋葬された[7]。
主な著作
小説
- Jonathan Troy (1954年)
- The Brave Cowboy (1958年)— 後に『ロンリー・ガン』として映画化
- Fire on the Mountain (1962年)
- Black Sun (1971年)
- The Monkey Wrench Gang (1975年)— 邦訳:『モンキーレンチ・ギャング』(山と渓谷社、訳:奥泉光、2009年)
- Good News (1980年)
- The Fool's Progress (1988年)
- Hayduke Lives! (1990年、死後出版)
ノンフィクション・随筆集
- Desert Solitaire: A Season in the Wilderness (1968年)— 邦訳:『砂漠の孤独』(山と渓谷社、訳:大澤薫)
- Appalachian Wilderness (1970年)
- Slickrock (1971年)
- Cactus Country (1973年)
- The Journey Home: Some Words in Defense of the American West (1977年)
- Abbey's Road (1979年)
- Down the River (1982年)
- Beyond the Wall (1984年)
- One Life at a Time, Please (1988年)
- A Voice Crying in the Wilderness (1989年)
- Confessions of a Barbarian: Selections from the Journals of Edward Abbey, 1951–1989 (1994年、死後出版、デービッド・ピーターセン編)
思想・考え方
アビーは、荒野(ウィルダネス)を人間の精神にとって不可欠な存在とみなす哲学がある。彼は荒野を単なる美的対象や保全資源としてではなく、自由そのものの基盤として位置づけた。「荒野は贅沢品ではなく、人間の精神にとっての必需品であり、水やパンと同様に生命に不可欠なものだ」というのが彼の中心的な主張である。この信念から、国立公園における「産業観光」(自動車やトレーラーによる観光化)を激しく批判した[8]。
政治思想では、自らを「農業アナキスト」と称し、左右いずれのイデオロギーにも属さない独自の立場をとった。アナキズムを「5000年の経験にもとづく冷徹な認識」として捉え、国王・司祭・政治家・将軍・地方行政官など、あらゆる権力者への不信を一貫して表明した。父から受け継いだアナキズム的傾向は、修士論文「アナキズムと暴力の道徳」にも明確に示されている[9]。
環境活動においては、平和的な抗議活動の限界を認め、「エコサボタージュ」(エコタージュ)と呼ばれる産業機器の妨害行為を小説の形で描いた。『モンキーレンチ・ギャング』に描かれた「モンキーレンチング」(機械・設備の意図的破壊)の概念は、アース・ファースト!に代表される過激な環境保護活動の戦術的・思想的基盤となった。アビー自身は公の場でエコサボタージュを直接呼びかけることを避けたが、アース・ファースト!の集会に参加し、その出版物に寄稿するなど同団体と密接な関係を持った[10]。
文学スタイルについて、アビーは「わざと挑発的で過激な書き方をするのは、人々を驚かせたいからだ。眠らせるより怒らせたほうがいい」と述べており、文学と社会批評と自然描写を独自の語り口で統合した。自らは「ネイチャーライター」と呼ばれることを嫌い、「ノンフィクション(個人史)を書く小説家」と自己規定していた[11]。
発言
アビーの思想の理解を助けるため、キーワードごとに分類した彼自身の説明等の発言を以下に引用する。
- 荒野の必要性
- 「荒野は贅沢品などではない。それは人間精神にとっての必需品であり、我々の生にとって水や良質なパンと同じほどに不可欠なものだ。手つかずの、質素な、根源的な野性を、わずかに残されたそれらさえも破壊し尽くす文明など、自らのルーツを断ち切り、文明そのものの理念を裏切る愚行を犯しているに過ぎない。」
- (原文:"Wilderness is not a luxury but a necessity of the human spirit, and as vital to our lives as water and good bread. A civilization which destroys what little remains of the wild, the spare, the original, is cutting itself off from its origins and betraying the principle of civilization itself.")[12]
- 荒野と自由
- 「荒野 (wilderness) は必要だ。たとえそこに、一生足を踏み入れないとしてもだ。我々には逃げ場所が必要なんだ。たとえ実際には、一度も逃げ込む必要がなかったとしても。希望が必要なのと同じくらい、間違いなく我々には「脱出の可能性」が必要なのだ。もしそれがなければ、都会の生活は、あらゆる人間を犯罪か薬物、さもなければ精神分析へと駆り立てるだろう。」
- (原文:"We need wilderness whether or not we ever set foot in it. We need a refuge even though we may never need to go there. We need the possibility of escape as surely as we need hope; without it the life of the cities would drive all men into crime or drugs or psychoanalysis.")[13]
- アナキズム
- 「アナーキズムは、おめでたい夢物語じゃない。この5000年の間、王様やら神父、政治家やら将軍、挙句の果てには郡の役人なんぞに自分自身の人生を丸投げしても、ロクなことにならなかった、という歴史の教訓から導き出された、極めてリアルな結論なんだ。」
- (原文:"Anarchism is not a romantic fable but the hardheaded realization, based on five thousand years of experience, that we cannot entrust the management of our lives to kings, priests, politicians, generals, and county commissioners.")[14]
- 荒野の保護と行動
- 「もし荒野(自然)が違法とされるなら、荒野を救えるのは無法者だけだ。」
- (原文:"If wilderness is outlawed, only outlaws can save wilderness.")[15]
- (説明)「荒野が違法」とは:政府や企業が開発を優先し、手つかずの自然を保護することを「経済活動の妨げ」として禁止したり、立ち入りを制限したりする状況を指す。
- 「無法者(アウトロー)」とは:法律よりも「地球の生命」や「道徳」を優先し、あえて法を犯してでも自然を守ろうとする人々のこと。
- 真実と勇気
- 「たとえ残酷で痛みを伴うものであっても、偽りの心地よさに浸るよりは、真実を直視するほうが価値がある。」
- (原文:"Better a cruel truth than a comfortable delusion.")[16]
- 成長神話の批判
- 「盲目的な経済成長、それこそが成長だと信じ込む浅ましさ。そんなものはガン細胞の理屈と変わらない。」
- (原文:"Growth for the sake of growth is the ideology of the cancer cell.")[17]
- 活動家へのメッセージ
- 「最後に一つだけ助言する。のめり込み過ぎて、燃え尽きりな。私を見習え - 気が進まない熱狂に、パートタイムの改革者、そして中途半端な狂信だ。自分自身と人生の半分は、喜びと冒険のために取っておけ。土地を守るために闘うだけでは足りない。それ以上に大切なのは、その土地を楽しむことだ。動けるうちに。その場所が、まだそこに残っているうちに。」
- (原文:"One final paragraph of advice: do not burn yourselves out. Be as I am – a reluctant enthusiast... a part-time crusader, a half-hearted fanatic. Save the other half of yourselves and your lives for pleasure and adventure. It is not enough to fight for the land; it is even more important to enjoy it. While you can. While it's still here.")[18]