エマ・エルラン
From Wikipedia, the free encyclopedia
フランス北西部の港町のシェルブールで生まれた。父親のギヨーム・エルラン(Guillaume Herland)は海軍の医療関係者で、父親の転属によってシェルブールからブルターニュのブレストに家族と移った。ブレストに住み海軍学校で絵を教えていた風景画家のジョルジュ・アレクサンドル・フィッシェ(Georges Alexandre Fischer: 1820-1890)に絵を学んだ後、パリに出て1887年から1888年の間、アカデミー・ジュリアンでジャン=ジョセフ・バンジャマン=コンスタンやジュール・ジョゼフ・ルフェーブルに学んだ[1]。
1879年にパリのサロンにデビューし、1920年まで出展を続けた[2]。1886年からフランス芸術家協会の会員になった.[3]。鉛筆画、水彩画、パステル画、油彩画など、さまざまな技法の作品をブルターニュとパリの展覧会に常時出展した。おもに風俗画を描き、ブルターニュの女性や子供たちの生活や衣装を描いた作品や、文学作品から題材を得た作品を描いた。1895年にパリのサロンで発表した「ロスポルデンの洗礼(Baptême à Rosporden)」は、ピエール・ロティの小説『私の兄弟イヴ(Mon frere Yves)』の登場人物を題材にしている。またロティの小説『氷島の漁夫(Pêcheur d'Islande)』のヒロイン、ゴー・メヴェル(Gaud Mével)を描いた作品もある[4]。
「慈善学校でスープを食べる子供たち」は、1905年にイギリスで出版されたウォルター・ショー・スパローの著書「women Painters of the World」に収録された[5]。
1947年にブルターニュの街カンペールで亡くなった。