エリザベート・ル・リッシュ
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文献によると941年11月[1]、エリザベートの父ソー=デュ=ガティネ卿リジャール・ル・リッシュ(ラテン語名:エリシエルヌス, Elisiernus)[2]が修道士となったが、修道院に入る直前に領地より南西40km先にあったサン=ブノワ=シュル=ロワール修道院を巡礼し[3]、所属教会、邸宅、農奴を寄付した。このような巡礼と寄付は当時フランスでは貴族に限られた特権および通過儀礼であった。
当時リジャールの子女は皆まだ若く、娘エリザベートが未婚であったこと、教会に入った息子ジョゼフが侍者(叙階前の奉仕者)[4]であったことが記録に残されている[5]。
エリザベートの実父リジャールはソー=デュ=ガティネの用益権を所有していたが、998年にソー=デュ=ガティネ領は修道院が所有していたのではなく、エリザベートの2人目の夫ヴァンドーム・パリ伯ブシャール1世とその次男にあたるパリ司教ルノー2世(1017没)、ユーグ・カペーの共同管理下にあった。
エリザベートはブシャールと結婚する以前は初婚の夫コルベイユ伯エイモンと死別した未亡人であった。
家族
エリザベートは父リジャール・ル・リッシュと名前不明の母との間に925年から935年の間に生まれた。本人も署名者の1人とされる文書によれば、エリザベートは941年には既に成人を迎えていたが、当時まだ未婚であった。
実弟にあたるジョセフはトゥール大司教(946年 - 957年)であったとされる。
エリザベートは初婚で、初代コルベイユ伯でありムラン家の祖となったエイモンと結婚し、957年頃に死別した。
その後960年頃、未亡人となったエリザベートはブシャール家のヴァンドーム伯ブシャール1世と結婚した。ブシャール1世は、987年にユーグ・カペーよりこれまでの貢献のため、パリ伯位を与えられた。
ブシャール1世は1007年頃に死去。エリザベートもブシャールと死別した直後に亡くなり、その傍に埋葬された。