エリ・コーヘン (1949年生の政治家)
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政治経歴
会社経営などを経て、ヨルダン川西岸最大の都市・マアレ・アドゥミームの副市長を務める。1999年にはリクードから国政への出馬を試みるが、リクードの獲得議席が19議席に止まったため落選[1]。2002年に繰り上げ当選を果たし、翌・2003年の総選挙で再選出馬を果たすが、比例順位が49位だったため落選[2]。翌・2004年に、同じチュニジアからの帰還者を父母に持つシルバン・シャローム外相(当時)の勧めにより、駐日イスラエル大使に就任する。シャロームからは当初は駐英大使を打診されていたが、コーヘンが駐日大使を希望し実現した。
日本との関係
コーヘンと日本との関係は、イスラエル国防軍及びヘブライ大学在学時に護身用として学んだ空手の訓練を通して深まる。空手は5段・黒帯の腕前で、イスラエル松涛館空手道協会名誉会長であり、また、剣術・居合道の4段でもある[3]。日本に対する教養の深さは台湾の李登輝・元総統に匹敵するほどで[4][5]、後醍醐天皇がかつて行った建武の新政については「建武の中興」と称している[要出典]。イスラエルの失われた10部族の末裔が日本人だとするいわゆる日猶同祖論者ではないが、それに近い「日猶同質論者」である[要出典]。小泉内閣末期に論議となった皇室典範改正論議に対しては、ユダヤ教の祭司が代々・男子継承であることから男系継承が日本の在り方との立場をとっていた[要出典]。その一方で自民党の総務会に代表される全会一致の文化に対しては違和感を示している[要出典]。また、大使就任時には警備会社・テイケイが歓迎パーティーを開催している[要出典]。
著書
- 大使が書いた日本人とユダヤ人(1997年、中経出版)
