エルンスト・ロイマン
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1859年、スイスのトゥールガウ州ベルクでドイツ系の家庭に生まれる。チューリヒ大学とジュネーヴ大学で言語学を、ベルリン大学とライプツィヒ大学でサンスクリットを学んだ[1]。ベルリン大学のアルブレヒト・ヴェーバーにジャイナ教を学び、1881年に『アウパパーティカ(ウヴァヴァーイヤ)・スートラ』の校訂および語彙集で[2]ライプツィヒ大学の博士の学位を取得した[3]。
1882年から1884年までオックスフォードでモニエル・モニエル=ウィリアムズのサンスクリット辞典の改訂にたずさわった。改訂版はモニエルの没した1899年に出版された。
1884年にフラウエンフェルトのカントンスシューレ(ギムナジウム)の教師の職を得た。同年ドイツに帰化し[1]、ストラスブール大学(当時はカイザー・ヴィルヘルム大学シュトラースブルク)のサンスクリット教授に就任した。1909年から1910年には学長をつとめた。第一次世界大戦後の1919年にストラスブールがフランス領になると、フライブルク大学の名誉教授になった。
19世紀末に浄土宗第1期海外留学生として荻原雲来や渡辺海旭らがストラスブール大学に留学してロイマンに学んだ。フライブルク時代には渡辺照宏ら多数がロイマンに学び、日本人の方がドイツ人学生よりも多かった[4]。
家族・親族
- 子:マヌ・ロイマンは印欧語学者。