渡辺照宏
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- 出生から修学期
1907年、成田山東京別院深川不動尊監院渡辺照叡の子として生まれた。東京帝国大学文学部インド哲学科で学び、1930年3月に卒業。卒業と同時にドイツに留学し、エルンスト・ロイマン(Ernst Leumann)らに師事。1933年5月に帰国。東京帝国大学大学院に進み、1935年3月に修了。
- 仏教学者として
1935年4月、智山専門学校(現:大正大学)教授に就いた(1943年3月まで)。1943年9月、文部省民族研究所所員となった。
終戦により、1945年10月に民族研究所は廃止され、1946年4月からGHQ民間情報教育局宗教調査課に勤務(1948年3月まで)。1948年2月に発病し、その後も闘病生活を送りつつ研究と著作を続けた。1948年4月、九州大学文学部助教授となったが、病気療養中のため赴任はしなかった(1953年3月まで)[1]。1956年4月から1969年3月、東洋大学文学部教授を務めた。1962年、学位論文『摂真実論並びに釈の研究』を東洋大学に提出して文学博士号を取得[2]。1975年10月に設立された成田山仏教研究所参与・理事・主席研究所員。1977年に死去。