オクタイ・デレリオール
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | Oktay Derelioğlu | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1975年12月17日(49歳) | |||||
| 出身地 | イスタンブール | |||||
| 身長 | 179cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1990-1992 |
| 20 | (5) | |||
| 1992-1993 |
| 2 | (0) | |||
| 1993-1999 |
| 155 | (69) | |||
| 1999-2000 |
| 4 | (2) | |||
| 1999-2000 |
→ | 20 | (16) | |||
| 2000 |
| 2 | (0) | |||
| 2000-2001 |
| 13 | (14) | |||
| 2001-2003 |
| 21 | (5) | |||
| 2003 |
| 17 | (4) | |||
| 2003-2004 |
| 5 | (1) | |||
| 2004 |
| 21 | (9) | |||
| 2004-2005 |
| 17 | (16) | |||
| 2005-2006 |
| 4 | (0) | |||
| 2006 |
| 2 | (0) | |||
| 2006-2007 |
| 3 | (0) | |||
| 2007 |
| 5 | (2) | |||
| 2007-2008 |
| 4 | (1) | |||
| 代表歴 | ||||||
| 1990-1992 |
| 14 | (10) | |||
| 1992 |
| 2 | (0) | |||
| 1991-1993 |
| 35 | (14) | |||
| 1994-1997 |
| 14 | (9) | |||
| 1995-2001 |
| 18 | (9) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2017 |
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| 2018 |
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| 2018 |
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| 2018 |
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| 2019 |
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| 2020 |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
オクタイ・デレリオール(トルコ語: Oktay Derelioğlu、1975年12月17日 - )は、トルコの元サッカー選手、サッカー指導者。元トルコ代表。現役時代のポジションはFW。
1998 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でベルギー代表相手に得点した事で著名な選手である。この試合で彼はベルギーのディフェンダーを六人、そのうちの一人に至っては二回抜いて得点し、ディエゴ・マラドーナが1986 FIFAワールドカップ準々決勝で決めた「世紀のゴール」と比肩された得点であった[1][2][3]。
また、ベシクタシュJKに長く在籍し、ヨーロッパの大会で合計14得点を同クラブで獲得、これはクラブ最多得点記録となっている[4][5]。
経歴
ベシクタシュ以前
イスタンブールに生まれた彼は地元のファティー・カラギュムリュクSKでサッカー選手となる。わずか14歳にして初出場を果たし、この試合では66分に交代出場と云う形であった。ここで2シーズンを過ごし、20試合5得点を獲得した。
その後、トラブゾンスポルに移籍。しかし、トラブゾンスポルでは出場機会に恵まれず、1シーズンで退団、ユースクラブでは3試合4得点の成績を残した。
ベシクタシュ
1993-94シーズンにベシクタシュJKに移籍した[6]。1993年8月29日に初出場となり、フェイアス・ウチャル、セルゲン・ヤルチュン、ルザ・チャルンバイらと肩を並べた。初シーズンから27試合9得点と活躍し、その後も1996-97シーズンに22得点、カップ4度優勝などの輝かしい成績を残した[6]。
その後
1999-2000シーズン開幕前にスィイルトスポルに移籍。1999年11月11日にレンタル移籍するまでに4試合2得点の活躍をした。移籍先となったガズィアンテプスポルでも20試合16得点の活躍をした[6]。
翌シーズンは200万ユーロでスペインのUDラス・パルマスに移籍[7]。しかし2試合の出場の後の2ヶ月後にはトルコに帰国した。と云うのも彼は当時のラス・パルマスの主将ヴィニー・サムウェイズとトレーニング中に口論になった為である。彼の説明するにはチームメイトがボールを彼に渡さなかったとの事である[7]。
帰国した後にはトラブゾンスポルに再び加入。13試合14得点の活躍を見せた。しかしながら翌年、2001年7月25日にはフェネルバフチェSKに移籍。理由として給与の未払いを彼は述べている。その後、2002-03シーズンの冬の移籍市場が閉まる最終日にサムスンスポルに移籍した[6]。
シーズンが終わると再び海外に進出し、ドイツの1.FCニュルンベルクに加入したものの、冬の移籍市場で再びトルコに復帰した。この時はアクチャーバト・セバススポルに移籍して21試合9得点の成績を残した[6]。その後、2004-05シーズン始めにはアゼルバイジャンのFKハザル・レンコランに移籍した[8]。
冬の移籍市場でトルコに帰国した後はクラブを転々とし、4クラブに2年半の在籍、出場は僅か18試合に止まった[6]。キャリアの最後は選手デビューを果たしたファティー・カラギュムリュクで凄し、4試合1得点の出場、2007-08シーズンの終了を前にして選手を引退した[9]。