オスカー・ムーア

From Wikipedia, the free encyclopedia

出生名 Oscar Frederic Moore
生誕 (1916-12-25) 1916年12月25日
死没 (1981-10-08) 1981年10月8日(64歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネバダ州クラーク
オスカー・ムーア
Oscar Moore
オスカー・ムーア(左)、ナット・キング・コール(手前)、ウェズリー・プリンス(右)。1946年6月頃、ウイリアム・ゴッドリーブ撮影
基本情報
出生名 Oscar Frederic Moore
生誕 (1916-12-25) 1916年12月25日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州オースティン
死没 (1981-10-08) 1981年10月8日(64歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ネバダ州クラーク
ジャンル ジャズ
職業 ミュージシャン
担当楽器 ギター

オスカー・ムーアOscar Moore1916年12月25日 - 1981年10月8日)は、アメリカ合衆国スウィング・ジャズギタリスト

ムーアはテキサス州に生まれ、兄ジョニー (Johnny Moore) ともどもギターを演奏するようになった[1]1930年代になって、一家がロサンゼルスへ移り住むと、兄弟はギタリストとして頭角を現すようになった[1]

ムーアは、1937年から1947年まで、ナット・キング・コールが率いたザ・ナット・キング・コール・トリオの一員を務め、当時コールが録音したほとんどすべてのレコードで演奏をしている。ムーアは優れた、影響力のあるギタリストであったが、自身はチャーリー・クリスチャンから影響を受けていた。バーニー・ケッセルは、スモール・コンボにおけるジャズ・ギタリストの役割を確立したのはムーアだったと述べたことがある。ムーアは、ライオネル・ハンプトンアート・テイタム1941年)、ザ・キャピトル・ジャズメン、レスター・ヤングなどともレコーディングを行なった。

コールのトリオを離れた後のムーアは、運に恵まれず、大きな成功を収めることはなかった。1947年から1950年代半ばまでは、兄ジョニー・ムーアのグループであったジョニー・ムーアズ・スリー・ブレイザーズ (Johnny Moore's Three Blazers) に加わったが、ピアニストで歌手だったチャールズ・ブラウンがグループを離れた後、グループの人気は衰えていった。1953年から1954年にかけて、ムーアはヴァーヴとタンパ(Tampa)から3枚のレコードを発表した。その後は、1965年に制作されたコールのトリビュート・アルバムに参加したのを唯一の例外として、音楽の世界を離れた。さらにその後は、ロサンゼルスに居を定め、煉瓦職人として働いていた。

リーダー・アルバム

脚注

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI