1980年、緑の党の共同設立者の一人となり、急進派の一人として知られるようになる。1981年に西ベルリン市議会選挙に出馬するが落選。1983年のドイツ連邦議会選挙で初当選、ヨシュカ・フィッシャーらと共に緑の党最初の国会議員の一人となり、緑の党連邦議員団に所属。この頃には現実派となり、社会民主党 (SPD) との連立を模索した。当時緑の党は連邦議会の議席を党員で持ち回りする党規だったため、1986年に比例名簿上の他の党員が繰り上げられたのと入れ替わる形で議員を辞職。翌1987年の連邦議会選挙で再選された。
1998年9月27日に行われた連邦議会選挙で SPD と同盟90/緑の党の連立政権が成立すると、シリーは内務大臣に指名され、10月27日に就任した。彼の在任中、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生し世界的にテロへの不安が広がる中、治安維持強化のための法案制定の責任者となった。彼が打ち出した多数の法案は、彼と同名の通信販売会社 Otto にかけて「オットー・カタログ」とマスコミに呼ばれた。2001年には極右政党のドイツ国家民主党 (NPD) を禁止する法案を提出したが、法案が連邦憲法裁判所に違憲と裁定され、撤回に追い込まれた。また内相として生体認証パスポートの導入を進め、2005年10月から発行が始まった。在任中に急速に進んだインターネットの普及に対応して、ハッカーやインターネット犯罪に対処する計画を発表し、連邦情報保安局に担当させることになっている。2002 FIFAワールドカップの際はフーリガン対策で日本の警察に協力、ドイツ代表チームが勝ち進んだ決勝戦に合わせて来日し、シュレーダー首相らと共に観戦した。