オディーン・スキーン
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| 選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| フルネーム | オディーン・アンソニー・スキーン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ラテン文字 | Odean Skeen | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 競技 | 陸上競技 (短距離走) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 種目 | 100m | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 所属 |
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| 大学 |
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| 生年月日 | 1994年8月28日(30歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 出身地 |
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| 身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 体重 | 57kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 自己ベスト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 60m | 6秒56 (2017年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 100m | 9秒98 (2017年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 200m | 20秒84 (2010年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 編集 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
オディーン・アンソニー・スキーン(Odean Anthony Skeen[1]、1994年8月28日 ‐ )は、ジャマイカ・セント・キャサリン教区出身の陸上競技選手。専門は短距離走の100mで、9秒98の自己ベストを持つ。15歳の時に2010年モンクトン世界ジュニア選手権男子4×100mリレーで銀メダル、2010年シンガポールユースオリンピック男子100mで金メダルを獲得するなど、若い頃には多くの国際大会で活躍した選手である。
ユース時代
2010年3月にチャンプス (en) (10-19歳が対象のジャマイカの全国学校対抗陸上競技大会)のクラス2でスプリント2冠(男子100mと200m)を達成すると[2]、4月のカリフタゲームズ (en) と7月の中央アメリカ・カリブジュニア選手権 (en) ではU17でスプリント3冠(男子100mと200と4×100mリレー)を達成した[3][4]。
16歳の誕生日を約1か月後に控えた2010年7月下旬にはモンクトン世界ジュニア選手権に出場し、ユース選手ながらカテゴリーが1つ上の大会で世界大会デビューを果たした。出場した男子4×100mリレーではメンバー唯一のユース選手として臨むと、予選と決勝でジャマイカチームの3走を務め、決勝ではアメリカ(38秒93)に次ぐ2位(39秒55)で銀メダル獲得に貢献した[5]。
新設された2010年8月のシンガポールユースオリンピックで世界大会個人種目に初出場を果たした。出場選手の中で今季ユース世界ランク2位(10秒46)として男子100mに臨むと、18日の予選は10秒63(-1.5)をマークし、当時ユース世界ランク1位(10秒39[注 1])のデイビット・ボラリンワがマークした10秒62(-0.2)に次ぐ全体2位で決勝に進出した。16歳の誕生日を1週間後に控えた21日の決勝では10秒42(+0.1)の自己ベスト(当時)をマークし、梨本真輝やデイビット・ボラリンワ(ともに10秒51)らを抑えて初の世界タイトルを獲得した[6][7]。22日の男子メドレーリレーではアメリカ大陸チームの2走を務め、1分51秒38で優勝に貢献した[8]。
2011年シーズンはハムストリングスの怪我に苦しみ、7月のリール世界ユース選手権はハムストリングスの怪我を悪化させたため男子100mを直前で欠場すると[9]、男子200mには出場して予選を突破したものの、準決勝でフライングを犯し失格に終わった[10]。
ジュニア時代
2012年6月16日のジャマイカジュニア選手権男子100m決勝で10秒24(+2.2)をマークし、追い風参考記録ながら自己ベストを上回るタイムで優勝を飾った[11]。同月30日の中央アメリカ・ジュニア選手権男子4×100mリレー決勝ではジャマイカチームの1走を務め、大会記録となる39秒39で優勝に貢献した[12]。
2012年7月のバルセロナ世界ジュニア選手権には男子100mと男子4×100mリレーに出場した。男子100mは10日の予選を組1着となる10秒50(0.0)で突破するも、翌日の準決勝は10秒43(+1.3)の組3着に終わり、着順での突破はならずタイムで拾われて決勝に進出した。迎えた決勝ではアダム・ジェミリが10秒05(+0.1)の大会新記録を樹立した中、10秒28の自己ベスト(当時)をマークして銅メダルを獲得した[13]。前回大会に続いて出場した男子4×100mリレーではジャマイカチームの2走を務めると、14日の決勝では優勝したアメリカに0秒30及ばなかったものの、38秒97のジュニアジャマイカ新記録樹立と銀メダル獲得に貢献した[14]。
サウス・プレインズ大学時代
2014年5月の全米短期大学選手権(NJCAA選手権)に出場すると、男子100m決勝で10秒14(+0.9)の自己ベスト(当時)をマークし、アンドレ・ドグラスに0秒01差で競り勝ち優勝した。アンカーを務めた男子4×100mリレーでも39秒55で優勝に貢献し、大会2冠を達成した[15]。
2015年3月7日の全米短期大学室内選手権(NJCAA室内選手権)男子60m決勝を6秒56の自己ベストで制した[16]。5月の全米短期大学選手権男子100mは決勝でフライングを犯し2連覇を逃した[17]。
オーバーン大学時代
2017年4月22日にオーバーン大学で行われたウォー・イーグル招待(War Eagle Invitational)男子100m予選において9秒98(+2.0)の自己ベストをマークし、10秒の壁を突破した[18]。
2017年6月の全米学生選手権(NCAA選手権)には男子100mと男子4×100mリレーに出場すると、1走を務めた男子4×100mリレーは38秒48の2位に貢献した。男子100mは決勝進出ラインが10秒03というハイレベルなものとなった予選を10秒03(+0.8)で突破したが、100m決勝の前に行われた4×100mリレー決勝で負傷したため、10秒97(-2.1)の8位に終わった[19][20]。
2017年6月23日のジャマイカ選手権男子100m準決勝を全体3位の10秒07(+0.5)で突破したが、決勝は負傷し途中棄権に終わった[21][22]。