オリバー・カーン

ドイツのサッカー選手 From Wikipedia, the free encyclopedia

オリバー・カーンOliver Rolf Kahn, 1969年6月15日 - )は、西ドイツカールスルーエ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。

本名 オリヴァー・ロルフ・カーン
Oliver Rolf Kahn
愛称 オリー、ティターン
ラテン文字 Oliver KAHN
国籍 ドイツの旗 ドイツ
概要 オリバー・カーン, 名前 ...
オリバー・カーン
2022年のカーン
名前
本名 オリヴァー・ロルフ・カーン
Oliver Rolf Kahn
愛称 オリー、ティターン
ラテン文字 Oliver KAHN
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1969-06-15) 1969年6月15日(57歳)
出身地 西ドイツの旗 西ドイツカールスルーエ
身長 188cm
体重 91kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
1975-1987 ドイツの旗 カールスルーエ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 ドイツの旗 カールスルーエII 73 (0)
1987-1994 ドイツの旗 カールスルーエ 128 (0)
1994-2008 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 429 (0)
通算 630 (0)
代表歴
1994-2006 ドイツの旗 ドイツ 86 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj
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アリアンツ・アレナで行われた引退試合の様子

野性味のあるプレーと風貌で人気選手となった。またエリア外からのシュートはめったに入らず世界最高のゴールキーパーと呼ばれていた。ドイツサッカー界でも最も多くのタイトルを獲得した選手の一人であり、同時にドイツ社会で発言力を持つサッカー選手の一人である。ゼップ・マイヤーハラルト・シューマッハーらと共にドイツサッカー史に残るGKの一人であり、欧州サッカー連盟が選ぶ歴代欧州サッカー選手ベスト50の中に、当時現役のゴールキーパーでは唯一選出された。

クラブ経歴

祖父母はラトビア出身。父もそこで生まれ、第二次世界大戦後にドイツへ来た[1]。祖父が誕生日にGKのユニフォームを買ってくれたのがGKを目指した理由と述べている[2]

16歳の時にはクラブチームの加入試験にことごとく落ちる。カールスルーエに加入するまでは筋力トレーニングなど雌伏の時期を過ごした。カールスルーエでは数年かかって正GKの座を確保した。

ブンデスリーガUEFAカップでの活躍が認められ、1994年、名門バイエルン・ミュンヘンへ移籍。初年度は味方ディフェンダークフォーと衝突し膝の十字靱帯を切断したためシーズンを棒に振ったが、翌年からは活躍を見せた。コンスタントにレベルの高いパフォーマンスを見せ、バイエルン・ミュンヘンのGKコーチ、ゼップ・マイヤーの下でワールドクラスのGKに成長した。

1998-99シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝は大会史上に残る名勝負となったが[要出典]、終了直前の3分間に2失点を喫し、マンチェスター・ユナイテッドに敗れた。1999-00シーズン以降、4年連続で欧州最優秀ゴールキーパーに選出されている。またドイツサッカー雑誌「キッカー」の選手ランキングでも幾度も「ワールドクラス」の評価を得ており、1999年から2003年頃までドイツの各テレビや雑誌では世界ナンバーワンGKと紹介された。

2000-01シーズンには自らの活躍により、バイエルンをUEFAチャンピオンズリーグ優勝に導き、2年前の雪辱を果たした。2002 FIFAワールドカップ後は、私生活の問題もあってコンディションを落としたが、2004-05シーズンには完全復活した[要出典]

バイエルン・ミュンヘンとの契約が切れた2008年限りで現役を引退。2008年9月2日、ミュンヘンで引退記念試合が行われ、21年間の現役生活に終止符を打った。

代表経歴

ドイツ代表では、FIFAワールドカップを4回経験している。しかし、1994年大会にはボド・イルクナー1998年大会にはアンドレアス・ケプケと、共に世界レベルのゴールキーパーの存在が大きくサブに甘んじ、正キーパーとして出場できたのは2002年大会のみである。2006年大会では、守備範囲が広くハイボールに強いイェンス・レーマンとの正ゴールキーパーのポジション争いに敗れ、サブGKとして参加。3位決定戦のみの出場となった。

代表のレギュラーとして初めて国際大会に出場したのはUEFA欧州選手権2000。しかし、この大会では実力を発揮することができず、ドイツはグループリーグで敗退した。

2002 FIFAワールドカップにはキャプテンとして参加した。ドイツは2001年9月1日にミュンヘンで行われた日韓ワールドカップ地区予選、イングランド戦でマイケル・オーウェンのハットトリックなど5失点を喫し1-5で完敗するなど、苦戦の末の本大会出場ということもあって下馬評は高くなかった。しかし、ワールドカップ本選ではカーンはファインセーブを連発。なかでも枠内シュートセーブ率93パーセントという数字を残した[要出典]。自身は決勝戦においてブラジル代表のジウベルト・シウバとの接触プレーにより靭帯損傷の怪我を負うが、そのままプレーを続行する気迫を見せた。最終的には準優勝に終わったものの、ゴールキーパーとして初のワールドカップMVPを獲得した。また、この年に自身3度目となる世界最優秀ゴールキーパー賞を受賞した。

カーンにとって実質3度目の国際大会となるUEFA欧州選手権2004では、実力を発揮したものの、ドイツは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

EURO2004後に就任したユルゲン・クリンスマン監督の方針により、代表GKはローテーション制となり、ドイツワールドカップに向け長年のライバルであったイェンス・レーマンと正GKの座を争う形となったが、2006年4月7日、クリンスマン監督から正式にレーマンが正GKであると発表があった。これにより「正GKとしてワールドカップに出場できないのなら代表を引退する」と公言していたが、「冷静に考えてから答えを出す」とコメントし熟慮の末、代表に参加した。

実質最後のワールドカップといわれた地元開催の2006 FIFAワールドカップでは、正GKとなったレーマンの控えとなったが「たとえ試合に出られなくても貢献できることはある」と自身でコメントしたように、延長戦ではレーマンを含めた他のチームメイトを励ますなどチームを盛り上げる姿を見せた。そして2006年7月8日(日本時間9日)に行われた3位決定戦では先発出場。ケガのため欠場したバラックに代わって主将を務めると共に、好セーブを連発してチームの勝利に貢献した。この試合終了後、代表引退を正式に表明した。

引退後

引退後はサッカー解説者やブンデスリーガのアンバサダーとして活動していたが、2020年1月から古巣のバイエルン・ミュンヘンに執行役員として復帰。翌2021年7月からはカール=ハインツ・ルンメニゲの後任として、同クラブの最高経営責任者(CEO)に就任した[3]。しかし2023年5月、バイエルンがリーグ11連覇を達成した直後、CEOを解任された[4]

選手としての特徴

相手のシュートに対する反応の鋭さ、味方への正確なロングパス、チームメートを引っ張るリーダーシップを持つなど、優れたゴールキーパーであり、存在感もあった[5]。2021年1月にマヌエル・ノイアーに記録を更新されるまでリーグの最多クリンシート(無失点試合)記録を保持していた[6]

エピソード

  • 2001年3月3日に行われたハンザ・ロストック対バイエルン・ミュンヘンの試合において、シュテファン・エッフェンベルクが上げたコーナーキックを手でゴールを決めて、2枚目のイエローカードを貰って退場した。カーンの退場後は、ミヒャエル・タルナトがキーパーを務めた。
  • ドイツでの彼の人気を物語るものとして、彼をモチーフにした曲「OLLI KAHN(オリ カーン)」がある。旧・東ドイツの都市・ライプツィヒ出身の音楽グループのディー・プリンツェン (die Prinzen) によるこの曲は2002 FIFAワールドカップの頃に発売された。歌詞はドイツ語版・英語版以外に日本語版も存在する。2006年には再プレスも行われた[7]
  • 2006 FIFAワールドカップでは、ミュンヘン高速道路に横っ飛びしてキャッチしているカーンの巨大アーチ看板が作られた。これはミュンヘン空港からスタジアムに向かう道をまたいでおり、観戦客はカーンの体の下を通過してスタジアムに向かうこととなった。
  • 引退時のインタビューにおいて「これまで対戦してきた中で最も嫌だったFWは誰か?」との質問に「最強のFWだと思ったのはロナウドで間違いないが、最も嫌だったとなるとインザーギだな…。知っての通り、やつはスーパーFWってわけじゃない。だが、大事な試合のたびに、やつは俺からゴールを奪ってきた。いつもだ!あいつは何てイラつくやつなんだ!」と答えている[8]
  • 結婚歴と離婚歴がある[9]

個人成績

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シーズン クラブ リーグ リーグ カップ UEFA主催 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
1987-88カールスルーエブンデスリーガ2000-20
1988-892000-20
1989-900000-00
1990-9122000-220
1991-9237020-390
1992-9334050-390
1993-9431030100440
1994-95バイエルン・ミュンヘン2302注1050300
1995-9632020120460
1996-973204020380
1997-983408080500
1998-9930080130510
1999-0027050130450
2000-0132040160520
2001-0232050140510
2002-033306060450
2003-043305080460
2004-0532070100490
2005-063106070440
2006-073203090440
2007-082607090420
通算557082014207810
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注1 DFLスーパーカップの記録を含む。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 86試合 0得点(1995年-2006年)[10]
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ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
199520
199630
199730
199870
199960
2000100
2001100
2002150
200390
2004110
200570
200630
通算860
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獲得タイトル

クラブ

  • トヨタカップ 2001
  • UEFAチャンピオンズリーグ 2000-01
  • UEFAカップ 1995-96
  • ブンデスリーガ 8回(1996-97, 1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツカップ 6回(1997-98, 1999-2000, 2002-03, 2004-05, 2005-06, 2007-08)
  • ドイツリーグカップ 6回(1997, 1998, 1999, 2000, 2004, 2007)

代表

個人

著書

脚注

外部リンク

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