オルグンミシュ
From Wikipedia, the free encyclopedia
オルグンミシュはモンゴル帝国にウイグル文字による文書行政を導入した人物として著名なタタ・トゥンガの長男であり、兄にはウクミシュ、弟にはソロガイ、トゥメンらがいた[2]。生年については不明であるが、タタ・トゥンガがモンゴル帝国に仕えるようになった1204年以前の出生ではないかと推定されている[3]。
『元史』の列伝によると、オルグンミシュは非常に膂力ある人物として知られていたという。ある時、オルグンミシュが狩猟に出た際に、盗賊3人に遭遇したが、オルグンミシュはこれを返り討ちにして悉く捕縛し、連れて帰ったという逸話がある[4]。
これを知った皇帝(後述するようにオゴデイのことと推定される)はこの逸話を知って配下の力士として取り立てた[4]。オルグンミシュは相撲の試合で敵なしの強者であったため、これを喜んだ皇帝は金を下賜し、自らのケシクテイ(親衛隊)に入れたという[5][4]。
これに対応するように、ペルシア語史料の『集史』にはオゴデイ・カアンの相撲好きについて以下のような逸話が伝えられている。
[オゴデイ・]カアンは相撲見物が大層好きで、モンゴル人をはじめ、キプチャク人達、ヒタイ人達[の相撲取り]を大勢手元に置いていた。ホラーサーン、イラクの相撲取りの話題について述べた後、[オゴデイ・カアンは]チョルマグンに(当地の)相撲取りを派遣するように使者を送った。[チョルマグンは]ハマダーンから勇者フィラ(Fila)とムハンマド・シャー(Muhammad Shāh)を、三十名の相撲取りと共に替え馬と糧秣をつけて出発させた。[一行がオゴデイ・]カアンの御前に到着すると、[オゴデイ・カアンは]フィラの容貌・体格・四肢の均整をたいそう喜んだ。 — ラシードゥッディーン、『集史』オゴデイ・カアン紀[6]
オルグンミシュの弟のソロガイがオゴデイ・カアンに仕えていたことからも、オルグンミシュを力士として取り立て、ケシクテイに入れたのは、オゴデイのことであったと推定されている[4]。