スカレー (競走馬)

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スカレーとは、日本のアングロアラブ競走馬種牡馬である。

欧字表記 Scurry
品種 アングロアラブ(アラブ血量34.25%)
性別
概要 スカレー, 欧字表記 ...
スカレー[1]
欧字表記 Scurry
品種 アングロアラブ(アラブ血量34.25%)
性別
毛色 鹿毛
生誕 1969年4月29日
死没 1985年6月
エルシド(アングロアラブ)
トモスカツプ(アングロアラブ)
母の父 トモスベビー(アングロアラブ)
生国 日本の旗 日本北海道浦河郡浦河町
生産者 不明
馬主 (有)木村牧場[2]
調教師 木村万吉船橋[注 1]
競走成績
生涯成績 17戦8勝
獲得賞金 不明
勝ち鞍

アラブチャンピオン(1972年)
アラブ王冠賞(1972年)
白百合賞(1972年)
八王子記念(1972年)

鎌倉記念(1972年)[注 2]
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競走馬としてはタイムラインの好敵手として南関東公営競馬で走り重賞5勝、レコード更新2回の活躍。種牡馬入り後は父エルシドの後継種牡馬として数多くの活躍馬を輩出し、自身の後継としても中央・地方総合リーディングサイアー5回のキタノトウザイを出した。またその母系を辿れば、明治期に宮内省によって輸入されたロシア原産の乗用馬種・オルローフ・ロストプチン種の末裔である。

※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。

競走馬時代

タイムラインとアラブダービー

1971年に船橋競馬場木村万吉厩舎からデビューすると、順調に使われて3勝を挙げた。馬インフルエンザによる開催休止が明けた4歳2月にはクラシック戦線へ向けての前哨戦である準重賞・アラブジュニアーに出走したが、ここはタマガワホース[注 3]の3着に敗れる[3]。ただし、この競走では前年の全日本アラブ争覇勝ち馬のタイムラインが調整不足が祟り着外となっており[3]、これはスカレーがタイムラインに生涯で唯一先着した競走となった。この直後、タイムラインは当時所属馬の水準・賞金額ともに上昇著しかった兵庫県園田競馬場へと、2000万円もの高額でトレードされる[3]

次走となった八王子記念で、スカレーは逆にタマガワホースを4馬身差で下して重賞初勝利を挙げた[4]。中心を失ったクラシック戦線の有力馬の1頭に名乗りを挙げたスカレーだが、姫路へ出走していたタイムラインが2戦して2勝を挙げただけで、再トレードにより南関東公営競馬へと戻って来てしまう[4]。そして再戦となった南関東アラブ三冠の1冠目・千鳥賞で、スカレーはタイムラインに3馬差をつけられる惨敗を喫した[5]

雪辱を誓ったアラブダービーでは、逃げるタイムラインに対してスカレーは2番手でぴったりと追走。3・4コーナーで既に2頭のマッチレースとなったが、直線では差を縮めるどころかじりじりと引き離されるばかり。3着のピースマウンテンには6馬身差をつけたとはいえ、レコード勝ちのタイムラインに対して2 1/2馬身差の2着に終わった[6]。このあと、タイムラインはふたたび園田競馬場へと移籍し、同地の重賞戦線を荒らし回る。

重賞4連勝

初の古馬重賞となった6月のワード賞ではいいところがなくキングタカラ[注 4]の8着に敗れたスカレーだが[7]、続く7月の4歳重賞・鎌倉記念は佐々木竹見騎手を背に勝利[8]。さらに白百合賞でも、2着のセンシヨウに6馬身差をつけるレコード勝ちで連勝を決めた[8]。10月18日には、赤間清松騎手に乗り変わってアラブチャンピオンへと出走。3・4コーナーでいったん故障かと思われるほど後退するも、直線大外から一気に差し切る派手な競馬でこれを制した[9]

そしてスカレーは、10月30日に行われる南関東アラブ三冠の最終戦・アラブ王冠賞へと進む。当初騎乗を予定していた佐々木竹見騎手が騎乗停止となったため急遽田部和廣騎手が起用されたが、スカレーはそんなアクシデントも物ともせず2着に8馬身差をつける大楽勝[10]。その勝ち時計は大井競馬場の2000mで2:05.1という、サラブレッド顔負けのレコードであった[注 5][1]

全日本アラブ大賞典、引退へ

それまでは南関東公営競馬所属馬にとって下半期最大の目標とされていたアラブ大賞典が、この年から全国でも初となる地方競馬全国交流競走の全日本アラブ大賞典として施行されることとなった[注 6][8]。この大一番を目指し、春先まで南関東で走り前年のアラブ大賞典2着の実績をもつ兵庫所属・コーセイジユニアー[注 7]、前哨戦として開放された準重賞・勝島特別を制した名古屋のトウスイホープ[注 8]ら、合計4頭の他地区馬が遠征する。そして、その中には兵庫所属馬として大井競馬場へと舞い戻るタイムラインの姿もあった。

前走のオープン戦でキングタカラに敗れていたにもかかわらず[11]、スカレーは「成長した今ならタイムラインを破りうる」対抗馬として人気を集める[12]。だが競走ではキングタカラがハナを切り、タイムライン・トキセンと兵庫の2頭が2番手で内・外を併走。スカレーはトウスイホープ、ブルシヨワ[注 9]とともに3番手集団を形成していたが、3コーナーでタイムラインがキングタカラに並びかけレースが動いてからも反応が鈍い走り。結局はまったく見せ場を作ることができないまま、勝負圏外の6着に敗れた[注 10][13]

これを最後に、スカレーは門別・旭牧場で種牡馬生活へ入る。通算戦績は17戦8勝、2着4回3着2回[1]

種牡馬時代

父エルシドが新進気鋭の輸入アラブ種牡馬として大活躍を見せていたこともあり、そのいち早い後継種牡馬として種付け料は初年度からアングロアラブとしては破格の60万円に設定される[注 11][1]。それでも多くの繁殖を集め、初年度産駒からいきなり6連勝で全日本アラブ争覇を勝ち、アラブダービーを制したカザンウンリユウなどを出したことで人気はさらに上昇。リーディングサイアーランキングでは1位の栄冠こそ届かなかったが一貫して上位をキープしており、数多くの名競走馬・名種牡馬を世に送り出した。また仕上がりの早さと豊かなスピードを持ち味に[1]、3歳のリーディングサイアーランキングでは計6回の首位に輝いている。だが15歳ころから腰を痛めるようになり、それが原因で1985年6月に17歳で死亡した[1]

代表産駒

  • 1974年産
    • カザンウンリユウ(アラブダービー・全日本アラブ争覇・種牡馬)
    • エンジエルブライト(新春賞白鷺賞・種牡馬)
    • ミスターマサボー(アラブダービー[笠松])
    • センエルシド(農林水産大臣賞典[新潟公営])
    • スイセイガバナー(種牡馬)
    • ソデノボーイ(ブルーバードカップ・種牡馬)
    • ホクセイコー(種牡馬)ホクトライデン半弟。
  • 1975年産
    • ガバナースカレー(南関東アラブ三冠馬・全日本アラブ争覇・種牡馬)
  • 1976年産
    • キタノトウザイ(母イナリトウザイ・種牡馬)。
    • アイランドキング(アラブダービー・銀盃・種牡馬)
    • サリユウムサシ(ワード賞・ブルーバードカップ・種牡馬)
    • チヨウキユウエース(白鷺賞・広峰賞)
    • タクマサチフジ(オーガストハンデ2回) ヤタノキングの母。
  • 1977年産
    • スズカゼ(北関東アラブ大賞典・種牡馬)
    • カツカザン(アラブ王冠賞[佐賀]・種牡馬)
    • ヘイケ(3歳時中央にて6連勝)
    • ダイニハクセキ(種牡馬)
  • 1978年産
  • 1979年産
  • 1980年産
    • イースタンハナ(名古屋杯・愛知賞)
    • サウンドランサー(新潟アラブ優駿)
    • タイガートウザイ(母イナリトウザイ・種牡馬)。
  • 1982年産
  • 1983年産
    • シマスカレー(エイプリルカップ・ことじ賞)
    • ブゼンヤマト(アラブ王冠[中津]・アラブチャンピオン[中津])
  • 1984年産
    • ヒカリミススカレー(アラブ王冠[笠松]・アラブスプリンターカップ・中京スポ杯)
    • ツルギジヨーオー(アラブスプリンターカップ・ひまわり賞[笠松])
    • ミスターローレル(新潟アラブ大賞典・越佐記念・種牡馬)
    • ミヤノマドンナ(園田ジュニアカップ)
  • 1985年産
    • エバーフラツシユ(銀盃[道営]・市制100周年記念[新潟公営])

各年成績

さらに見る 年, 出走数 ...
出走数1着数収得賞金総合順位AEI3歳順位3歳AEI重賞勝数
1976年514651億2280万9000円23位1.252位2.011
1977年12351243億0411万6000円9位1.494位1.426
1978年17901854億8869万7000円3位1.511位1.757
1979年22871896億2494万0000円3位1.877位1.859
1980年24832655億6888万6000円4位1.151位1.306
1981年30543167億0693万1000円3位1.221位1.3710
1982年32683367億7368万5000円3位1.211位1.325
1983年39843837億7512万6000円2位1.131位1.245
1984年41863986億6492万1000円3位0.992位1.121
1985年42233926億3164万8000円2位1.051位1.214
1986年42593805億5013万8000円3位0.964位1.175
1987年35213775億2076万1000円4位1.0312位1.123
1988年28702154億2651万8000円6位1.2026位2.433
1989年19091582億6584万3000円16位0.96--4
1990年1054871億3838万0000円38位0.82--2
1991年545457114万3000円58位0.77--1
1992年264223877万2000円85位0.81--0
1993年11591650万2000円127位0.87--0
1994年644379万2000円220位0.48--0
1995年100円405位0.00--0
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全ての数字は地方・中央総合リーディングでのもの[14]

血統表

スカレーの血統
エルシド系 / 方景3×4=18.75%[母内] )「アア」表記はアングロアラブ種 「アラ」表記はアラブ種 「*」が付された馬名はシャギアギドラン・サラ系
アア エルシド
El Cid 1962 鹿毛
父の父
アア Nithard
1948
アア Kesbeth
1943
Dadji 1933
アラ Kraina 1932
アア Nitouche
1940
アアLotus VIII 1923
アア Nausicaa 1932
父の母
アア Farida IV
1950
Elseneur
1943
Nino 1923
Ann's Twin 1939
アア Lady Salmson
1937
アラ Alaric V 1929
Lady of Mercia 1931
アア トモスカツプ
1961 栃栗毛
アア トモスベビー
1953
トシシロ 1940 ダイオライト Diolite 1927
月城 1932
アア スルガ 1946 アア 方景 1934
アア 念原 1935
母の母
アア カツプフオード
1945
アア 方景 1934 アスフオード Athford 1925
アア 影英 1929
*スターカップ 1935 アア バラツケー Barraques 1927
*雲駒 1922 ガルカ系

オルローフ・ロストプチン種

オルローフ・ロストプチン種(ロシア語: Орлов Ростопчи́н、ラテン文字転記:Orlov-Rostopchin)とは、ロシアで改良された乗用軽種馬の品種である。ロシア貴族アレクセイ・グリゴリエヴィチ・オルロフ伯爵(ロシア語: Алексей Григорьевич Орлов、ラテン文字転記:Alexey Grigoryevich Orlov、1737年 - 1808年)が18世紀末にスルタン(Sultan)という名のアラブ種種牡馬を[注 12]、1802年よりフョードル・ワシリエヴィチ・ロストプチン伯爵(ロシア語: Фёдор Васи́льевич Ростопчи́н、ラテン文字転記: Fyodor Vasilyevich Rostopchin、1763年 - 1826年)がメッカ地方より4頭のアラブ種種牡馬をそれぞれ導入し、自らの牧場においてアラブ種サラブレッドアングロアラブ、オランダ種、そして僅かではあるがロシア土着牝馬との間で交配を進めた[注 13][15]。1815年に両者の牧場がロシア帝国政府によって買い上げられると、ロストプチン側の馬は旧オルローフ側の牧場へ移動させられる。そして以後は、両牧場の系譜を引くこれらの乗用軽種馬をオルローフ・ロストプチン種と総称するようになった[15]

日本には、宮内省が1901年に牡馬3頭、牝馬2頭の全5頭を総額8700ルーブルで輸入している[15]。日本へ向けて海上を輸送中に海が大荒れとなり、やむなく半数を船内で処分せざるを得なかったためこの小頭数となった[注 14]。スカレーの牝祖であるガルカは、この生き残った貴重なオルローフ・ロストプチン種の1頭である。1898年にガラホウ牧場にて生を受け、1100ルーブルの値段で購入されると下総御料牧場に繋養された[15]。当初はサラブレッドと交配されるなどして細々と血脈を繋いでいったが、スカレーの3代母スカーカツプの牝系がアングロアラブ競走馬として成功を収めた[注 15][16]。ちなみにスカレーからみた場合ガルカは6代前祖先にあたり、その血量は1.5625%となる。

ガルカ主要牝系図

緑色はサラブレッドが父、青色はオルローフロストプチンが父。*は準サラ扱いのもの。特に表記のないものは全て牝馬。
ガルカ 1898年生 ロシア産
第二ガルカ 1905年生
第三ガルカ 1906年生
|第四ガルカ 1907年生
|第五ガルカ 1911年生
第七ロイヤルメツセンジヤー 1912年生 種牡馬 
ハアレン 1914年生 種牡馬
第六ガルカ 1915年生
第七ガルカ 1917年生
||*ヘレナ 1921年生
||*雲駒 1922年生
|||*スターカツプ 1935年生
||||ヒメラミー 1942年生
|||||モリツバキ 1948年生 国営22勝。タマツバキにも勝利した。
||||||ホースマンナ 1958年生
|||||||ユキヨ 1967年生
||||||||センジユツバキ2 1977年生
|||||||||ミスクシロパワー 1989年生 アラブ王冠(中津)2着
||||カツプフオード 1945年生
|||||タイヘイ 1955年生 種牡馬
|||||トモスカツプ 1960年生
||||||レイケイカツプ 1965年生
|||||||カチミヒメ 1980年生
||||||||シンエイシューホー 1990年生 牡馬 日本海特別
|||||||タイヨウコナモーレ 1987年生
||||||||キクノパワフル 1995年生 全日本アラブクイーンカップ
||||||スカレー 1969年生 アラブチャンピオン、アラブ王冠賞、白百合賞、鎌倉記念、八王子記念、種牡馬
||||||ハマヤス 1970年生 種牡馬
||||||テルヒサ 1974年生 鞆の浦賞、アラブ王冠(福山)2着、種牡馬
||||タカツバキ 1952年生
|||||ヒメカツプ 1960年生 1963年啓衆社賞最優秀アラブ アラブ大賞典タマツバキ記念(春)2回
||||||ツキカツプ 1975年生
|||||||ダイドーカツプ 1981年生
||||||||スウィングエース 1989年生
|||||||||シュメイヒーロー 1997年生 牡馬 九州アラブダービー、荒尾記念
|||||||ホーセンカ 1982年生
||||||||キヤシームーン 1986年生
|||||||||ピアドハンター 1994年生 牡馬 福山ダービー福山大賞典福山マイラーズカップ
|||||ホウカン 1961年生
||||||ヒダセイハ 1973年生
|||||||リフトバレー 1982年生
||||||||サンエスジュニア 1982年生 牡馬 アラブウインターカップ(金沢)
|||||第弐カツプヒメ 1965年生
||||||スピードケイコ 1974年生
|||||||グランスター 1981年生 牡馬 岩鷲賞
|||||マキノカツプ 1976年生
||||||スターカツプレデー 1981年生
|||||||ラピードベア 1991年生 牡馬 アラブギフ大賞典2着
||*エイリユウ 1927年生
|第八ガルカ 1920年生 

脚注

外部リンク

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