オロチョンの火祭り
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戦後、網走市観光協会として、網走市を全国的に売り出すために観光客を呼び込むための行事を作る必要があり、長崎の蛇踊りに匹敵するようなエキゾチックな企画として考案された。行事の名前は、伊藤久雄が1952年に発表した歌謡曲「オロチョンの火祭り」からとられた[4]。
オホーツク海に面した網走では古来より北方民族との交流が盛んであり、モヨロ貝塚などではアイヌ民族の先祖の一部となったオホーツク人の人骨が発見されている。それらの経緯からモヨロ貝塚において1937年から「モヨロ祭り」として北方民族を慰霊する祭が開催されていた。
終戦後、モヨロ祭りと同時開催という形で、1959年から、郷土史家の米村喜男衛が中心となって、網走市に樺太から移住したウィルタやニブフ、樺太アイヌの協力を得て「オロチョンの火祭り」が行われるようになり、正式な市の夏祭りとして組み込まれるようになった。
開始当初は、ニブフ、ウィルタ、樺太アイヌなど、樺太をルーツに持つ先住民族の伝承者たちが参加していた。たとえば、ニブフの古老、中村チヨが中心となって踊りを披露していた。その後、ウィルタの北川ゴルゴロやゲンダーヌも加わるようになった。
しかし、祭りの内容は、伝統に即しておらず、次第に参加しなくなり、儀式や舞踊は和人の市民によって披露されるようになった。
この祭りの儀式や舞踊が、本当の民族文化と異なるとしてウィルタの支援者である田中了から批判が行われ、主催者側と論争になったことがある[5]。