オロチョンの火祭り

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オロチョンの火祭りとは、かつて北海道網走市で毎年7月下旬に開催されていた北方民族の文化をモチーフとした祭りである。

先住民族の慰霊と豊穣を祈願して行われる儀式で、北方民族風の衣装に身を包み、太鼓コロホル[1]に合せて炎を囲んで踊るものであった。踊り手たちは、先述のコロホルやイルラオ[2]を持って踊る。

市の観光イベントとして2020年代前半まで実施された[3]

戦後、網走市観光協会として、網走市を全国的に売り出すために観光客を呼び込むための行事を作る必要があり、長崎の蛇踊りに匹敵するようなエキゾチックな企画として考案された。行事の名前は、伊藤久雄が1952年に発表した歌謡曲「オロチョンの火祭り」からとられた[4]

オホーツク海に面した網走では古来より北方民族との交流が盛んであり、モヨロ貝塚などではアイヌ民族の先祖の一部となったオホーツク人の人骨が発見されている。それらの経緯からモヨロ貝塚において1937年から「モヨロ祭り」として北方民族を慰霊する祭が開催されていた。

終戦後、モヨロ祭りと同時開催という形で、1959年から、郷土史家の米村喜男衛が中心となって、網走市に樺太から移住したウィルタやニブフ、樺太アイヌの協力を得て「オロチョンの火祭り」が行われるようになり、正式な市の夏祭りとして組み込まれるようになった。

開始当初は、ニブフ、ウィルタ、樺太アイヌなど、樺太をルーツに持つ先住民族の伝承者たちが参加していた。たとえば、ニブフの古老、中村チヨが中心となって踊りを披露していた。その後、ウィルタの北川ゴルゴロゲンダーヌも加わるようになった。

しかし、祭りの内容は、伝統に即しておらず、次第に参加しなくなり、儀式や舞踊は和人の市民によって披露されるようになった。

この祭りの儀式や舞踊が、本当の民族文化と異なるとしてウィルタの支援者である田中了から批判が行われ、主催者側と論争になったことがある[5]

名称について

オロチョンは元来ロシアおよび中国に居住するツングース系の民族を指す言葉であるが、樺太に住むウィルタの別名である「オロッコ」に似ていることもあり、戦時中から誤ってウィルタ(オロッコ)を指す言葉として使われることがあった。

上述のように伊藤久雄の同名の曲が大ヒットしたことから、それにあやかってオロチョンを冠したこの祭りのタイトルが採用された。

その他

参考文献

関連項目

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