オーガスタス・シューツ
From Wikipedia, the free encyclopedia
ルートヴィヒ・ユストゥス・シノルト・ゲナント・シューツ(Ludwig Justus Sinold gennant Schütz、1665年ごろ – 1710年[2]、ヨハン・ヘルヴィヒ・シノルト・ゲナント・シューツの次男)と妻アンヌ(Anne、旧姓ド・レクール(des Lescours)、ユグノーの家系[4])の次男として、イングランド王国で生まれた[1]。生年は1689年とする説と[1]、父がイングランドに来た1693年以降とする説がある[2]。父は1693年から1710年まで在ロンドンハノーファー特命公使を務めた外交官だった[4]。
青年期をハノーファーの宮廷で過ごしたのち、1714年に選帝侯ゲオルク1世ルートヴィヒがジョージ1世としてグレートブリテン国王に即位すると、ジョージ1世に随行してロンドンに移住した[2]。1715年6月21日から1718年まで王太子ジョージ(のちの国王ジョージ2世)の寝室宮内官を務め、1719年から1727年まで王太子ジョージの衣装係を務めた[5]。1723年から1727年までは王太子妃キャロライン(のちの王妃キャロライン)の手許金会計長官を兼任した[6]。1727年6月に王太子ジョージがジョージ2世として国王に即位すると[5]、同年9月26日に王室衣装係および国王手許金会計長官に任命され、1757年に死去するまで務めた[3]。
1742年に友人ジェームズ・タイレルが死去すると、タイレルからショットオーバー・パークの地所を継承した[7]。
1757年4月26日に死去した[3]。