オーリアンズ

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ジャンル
活動期間
  • 1972年 - 1997年
  • 2001年 -
レーベル
オーリアンズ
オーリアンズ(2006年)
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ウッドストック
ジャンル
活動期間
  • 1972年 - 1997年
  • 2001年 -
レーベル
公式サイト orleansonline.net
メンバー
  • ジョン・ホール
  • デニス・"フライ"・アメロ
  • ランス・ホッペン
  • レイン・ホッペン
  • ブレイディ・スペンサー
旧メンバー
  • ラリー・ホッペン
  • ウェルズ・ケリー
  • ジェリー・マロッタ
  • ボブ・レインバック
  • ピーター・オブライエン
  • チャーリー・モーガン
  • チップ・マーティン

オーリアンズOrleans[2]は、1972年ニューヨーク州ウッドストックで結成されたアメリカポップ・ロックバンド1975年のアルバム『歌こそすべて (Let There Be Music)』、そこからシングル・カットされたヒット「ダンス・ウィズ・ミー (Dance With Me)」がとくに有名。

1972年2月、ギタリストで作曲家のジョン・ホール(John Hall、後にアメリカ合衆国下院議員)、ギタリストでシンガーのラリー・ホッペン、ドラマーのウェルズ・ケリーを中心に結成される。同年11月、ラリーの弟ランス・ホッペン、ドラマーのジェリー・マロッタが加入。

アメリカ北東部のクラブ、大学を地道にサーキットして後々のコアなファンを開拓、下積み当時にはボニー・レイットトム・ウェイツホール&オーツなど前途有望なアーティストと出会って刺激を受ける。

1973年ABCレコードのダンヒル・レーベルからセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリースしたが大した反響は得られず、続くセカンド・アルバム『ダンス・ウィズ・ミー (Orleans Ⅱ)』もアメリカ本国ではリリースされず、日本ヨーロッパでのリリースに止まった。

アサイラム・レコードに移籍し、チャック・プロトキンのプロデュースで制作したサード・アルバム『歌こそすべて (Let There Be Music)』(1975年)を発表。前アルバムから再録された「ダンス・ウィズ・ミー」をシングル・カットすると、同年秋にビルボードの6位まで上昇する大ヒットとなり、一躍注目を浴びる。

続く1976年の4作目『夢のさまよい (Waking and Dreaming)』もビルボードの30位まで上昇し、シングル「スティル・ザ・ワン (Still the One)」はチャートの5位まで上る大ヒットとなった。この曲がチャートを駆け上がると同時期に、バンドはレーベル・メイトのジャクソン・ブラウンと大陸横断ツアーを行った。

本来はアーシーなR&Bロックンロールに根差した音楽を志向していた彼らだが、これらのヒット曲のイメージにより、ボーカル・ハーモニーをサウンドの軸に据えたソフトロックの雄として認知され、メリサ・マンチェスターとのパッケージ・ツアーにも出た。しかし、本来の自分の志向と違う形での成功にストレスを感じたジョン・ホールは、ソロ活動を望んでグループを脱退した。

1979年、ホッペン兄弟とケリーはバンドを立て直し、新たにインフィニティ・レコードと契約。アルバム『友よ再び (Forever)』からシングル・カットした「友よ再び」(Love Takes Time)はチャートの11位を記録し、スティーヴン・スティルスや、シカゴとのツアーも盛況であった。

1984年ミートローフとのツアー中にウェルズ・ケリーが急死したことをきっかけに、ホッペン兄弟とジョン・ホールは再接近。1986年、ホールが復帰したオーリアンズは、MCAレコードの名プロデューサー、トニー・ブラウンのプロデュースによるアルバム『グロウン・アップ・チルドレン (Grown Up Children )』をリリース。

1991年には2枚組ライブCDを日本でリリース(本国アメリカでのリリースは1993年)、2回にわたる日本ツアー、ウッドストック 1994への出演、1995年の「キャント・ストップ・ロッキン・ツアー」への参加(共演はフリートウッド・マックREOスピードワゴンパット・ベネター)など、1990年代も精力的に活動した。

2006年にニューヨーク州から下院議員に選出されたジョン・ホールは、グループ活動に帯同できなくなり、任期中(2007年から2011年)はごく限られた機会にのみ登場するようになった。

2012年7月24日、ラリー・ホッペンが死去。死因は明らかになっていない。同年8月にバンドのウェブサイト上でその後の年内のスケジュールについて、ジョン・ホールが復帰して活動を続行することを発表。その後9月16日にウッドストックのベアズヴィル・シアターにて旧メンバーのボブ・レインバックも参加して追悼ライブが行われた。

ラリー・ホッペン死去後、ジョン・ホール(G,Vo)、ランス・ホッペン(B,Vo)、ホッペン兄弟の末弟レイン・ホッペン(Key)、ホール不在のオーリアンズで後任を務めていたデニス・"フライ"・アメロ(G,Vo)、長くエルトン・ジョンのサポートを務めたチャーリー・モーガン(Ds)の5人編成となった。

2018年にドラムのチャーリー・モーガンが脱退し、後任としてブレイディ・スペンサーが加入した。

2019年7月、ジョン・ホールが演奏活動からの引退を表明し、代わってランス・ホッペンとブレイディ・スペンサーのナッシュビルのミュージシャン仲間であったチップ・マーティン(Vo,G,B)が加入した。しかしその後、一時的なサバティカルであったとして引退を事実上撤回し、2020年よりバンドに復帰している。

ディスコグラフィ

脚注

外部リンク

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