カザマンス紛争

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  • 1982年 - 2014年5月1日(主要紛争)
  • 2015年 - 現在(小競り合い)
現況
カザマンス紛争

ウスイにて、地雷を警告する絵
  • 1982年 - 2014年5月1日(主要紛争)
  • 2015年 - 現在(小競り合い)
場所セネガル
現況
衝突した勢力

援助国:
モロッコの旗 モロッコ[7]

カザマンス民主勢力運動


援助国疑惑:
ガンビアの旗 ガンビア[8]
指揮官
セネガルの旗 アブドゥ・ディウフ(1982年 - 2000年)
セネガルの旗 アブドゥライ・ワッド(2000年 - 2012年)
セネガルの旗 マッキー・サル(2012年 - 現在)
ギニアビサウの旗 ジョアン・ヴィエイラ(1998年 - 1999年)
オーギュスタン・ジャマクン・サンゴール( - 2007年)
サリフ・サディオ(2007年 - )戦傷
シーザー・バディエッテ
ママドゥー・ニョントン・ジエッタ[9][10][8]
戦力
モロッコ爆弾処理班:500人[9] 300人 - 600人(1989年[11]
2,000人 - 4,000人(2004年[12]
180人(2006年[13]
被害者数
1982年から合計で5000人が死亡[14]

カザマンス紛争(カザマンスふんそう)は1982年から続いているセネガルカザマンス地方の独立運動による内戦である。紛争は、セネガル政府とカザマンス民主勢力運動(MFDC)の間で行われている。2014年5月1日、MFDCの指導者が和平を求め、一方的に停戦を宣言した。

カザマンス紛争は、セネガル政府とカザマンス民主勢力運動(MFDC)の間で1982年から続いている低強度内戦である。2014年5月1日、カザマンス民主勢力運動の指導者は平和を訴え一方的停戦を宣言した。カザマンス民主勢力運動は、セネガルの他地方と宗教的にも民族的にも異なるカザマンス地方の独立を訴えた[15]。1992年から2001年にかけて最も激しい戦闘が行われ、1000人以上が戦闘で死亡した[15]。2004年12月30日、カザマンス民主勢力運動とセネガル政府は、カザマンス民主勢力運動兵士に国軍入隊権利を与え、カザマンスの経済的復興計画を実施し、地雷除去と帰国避難民援助に合意した[15]。しかしカザマンス民主勢力運動の一部の過激派が独立し、彼らはフンジュン県で2005年2月2日に開催された会議に参加しなかった[15]。2010年から2011年に戦闘が再開したが、2012年の大統領選挙の後に弱まった。聖エギディオ共同体の援助の下平和交渉が2012年12月14日にローマで開かれ、セネガルのマッキー・サル大統領がカザマンスは地方分権の先駆けになると宣言した[15]

背景

カザマンス地方の位置

セネガル南部のカザマンス地方は東部がセネガルに繋がってはいるが、セネガル本土とはガンビアで隔てられている。カザマンスは鉱物や環境資源が他地方より豊富で、セネガルの食料、米、綿の殆どを作っている[15]。先住民のジョラ族の多くはキリスト教アニミズムを信仰しており、ムスリムであるセネガル人多数派とは異なる[15]。ジョラ族はカザマンスの富が首都ダカールに搾取されていると感じていた[15]

時系列

脚注

詳細文献

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